母子寮にいていろいろ生活が困難な時、やりくりをもっと上手にして節約のために自炊してということにやる気をなくし頻繁に外食していた。寮内で少し話をした人もいたけど、隣の人とはほぼ無視状態で別に喧嘩してる訳でもないのに挨拶もしなかった。他の階の方々とも会っても何も話さずサッと逃げるようにお互い自分の部屋に戻ってた。例え私がフレンドリーに声をかけても迷惑そうに去られただけだった。でも、私もその中の一員で気持ちはよーく理解できたし、お互いそっとして、静かに生きていたかった。
中にはこのような自分の生活を客観的に見てその改善を託した投票をしようと意欲がある場合は恵まれているかもしれないけど、自分がいた空間を思い返すとそういうばかりではないんじゃないかと思う。
自分が実際経験することは限られてて、経験していないことに対する想像力とか知ろうとする気持ちとかそういうもので補って生きているのではと思っているけど、この、本来この状態ならこのような行動をとるのではないか、とるべきじゃないのか、というものの中で、困窮した時の心理というのはなかなか理解してもらうのは難しいのではないかと時々思う。負い目というものがいかに自分の心を閉ざしてしまうのかと今も思い出す。