私の中学2年生の担任の先生は神社の神主さんだった。
昔の田舎の学校ではたまにこういう他の職業と兼ねて教師やってる人が居たらしい。
今思うとかなり異色の先生だった。
グループ学習の課題は南京大虐殺についてで「教科書には載らないから図書館で調べてこい」と言ってたし、修学旅行のいろは坂で車酔いする私が観光バスの最前列でリバースMAXで動けなくなってたら「これ飲め、効くぞ」と渡されたのは酔い止めの薬ではなくスキットルに入った液体(多分ウィスキーとかブランデー)だった。
中島先生。顔と名前と所々強烈に記憶に残る授業や出来事は絶対忘れない。
小学校の2年生の担任は、教室内でいつも竹刀持ってた。
何かちょっとでも気に入らないと竹刀で小突くか竹刀を膝の裏に挟んで床に正座させた。
2階のベランダで「落とすぞコラ」と手すりから体半分外に押されて、泣きながら帰って母に話したら翌日母が抗議に行ったけど「問題があるからそういう事になる」と教頭に言われたらしい。
問題は起こしたけど、2階から落とすぞコラと本当に体を押されて謝って落ちたら命の危険にさらされるほどではないと今でも思ってる。
山下千◯先生。
顔もフルネームも絶対忘れない。
昭和って、良くも悪くも個性的な先生は確かに居たな。
@sayuri_t_h 私の高校の時の日本史の先生は浄土真宗の住職でした。父の知り合いでもあったのでお寺にお邪魔したこともありました。半跏思惟像のような、手つきの美しい先生で、すうっと歩いてきて、あちらの方向を見て話しする方でした。親鸞の話が出てくるまでは普通に授業してたのに、鎌倉仏教、親鸞云々のところまでくると、何日もそこで止まってしまう先生でした。テスト範囲は全然先まで含まれていて皆んなそれ以後は独学状態でした。いろんな先生いましたね。
@sayuri_t_h そう、大変ですよね😅でもそういう先生こそ今になっても覚えてる😅