それにしても能登の地震,小屋組だけが残って低層階を押し潰してるパタンが多い気がするなあ。多雪地域の構法的な癖なのかなあ。寒冷な気温からすると低層階の壁量が過小ってのも妙である。揺れの性質起因とも考えられるし,ちょっとこれは詳細な報告を待たねばなるまい(やや専門的な話

今和次郎「日本の民家」に相模原で草葺き屋根の小屋組だけ残して家が潰れ、竪穴住居みたいにして一時しのぎにしてる事例が載ってますが、いくらなんでも大正13年では古すぎて、例にはならないでしょうね。

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[40億円かけた耐震文化財、一瞬で崩れ…ガラス作品は粉々も「人命が先」|産経 sankei.com/article/20240111-XY "約40億円をかけて修復や耐震補強工事を実施し、禅悦廊を含む計20の文化財を耐震化。令和3年4月の落慶式で完全復興を果たしたはずだったが、今回被害を免れることはできなかった" ] こういう事例も報告されてるしねえ。うーむ。

お寺も美術館も、火が出なかっただけ良かったというしかないですね。

お寺は指定文化財で耐震補強してるので、普通に考えれば図面はあるはずで、指定は外れるかもですが復元は可能でしょうか。

ガラス製美術品は、記事にもあるように、どういう形で修復するかが難しいので、とにかく難を免れた作品の保護と、破損したものは破片などを作品ごとにまとめておく事が肝要と思われます。

しかし、ビルが横倒しになり、打った杭が穴だけ残して地中に姿を消したなんて、どんな揺れだったのやら。災害は明日は我が身ですから、些か寒気がします。

倒壊した古いペンシルビルに関しては,あまり不審はないというか「壊れるとしたらこういう壊れ方をするな」という予想通りの壊れ方なんだけどねえ。
耐震補強直後の在来木造が壊れるのは,いちばん壊れては困る(=壊れづらくしてある)生存空間が最初に壊れたという事で,やっぱ解せないのだった。

そういうものなのですね>古いペンシルビル。

在来木造の耐震補強工事は、移築復元工事を見たり、完成してからのガイドで馴染みがありますが、おおせの通り生存空間の確保が優先されておりましたね。

兜造茅葺の古民家と、瓦葺の寺社との違いはありますが、確かに解せませんね。

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