うわぁ!!!
これは、酷い。
はっきり言って。
これは全くのデタラメで。
自分の金儲けのために
人を傷つけて
平気でいるという
この人が、心因持ち
ぢゃないの?案件(^^;
しかも、抗議されても、撤回しない...
すごいね、金のためなら、なんでもやるね!!!
これの一番悪いところはね
人のドス黒い闇を満足させることで
利益を得てるということだと思います。
読んでいる人は、はっきり言って、妬みがすっとする(笑)
まあ。そうですよ。そのために読むんです。本を買うんですね。
自分がなんの努力等しなくても、相手を嘲笑して、見下して、石を投げれるから。
あー。すっとした。
「そういう話だよ」と己のその行動の責任を、その人にふれるから。
ついでに、ゆーておくと
このドクターが
「全くの無責任の見立て」をやっているのも、多分理由があって。
「きちんとした診察なら、自分に責任があるから」
です。
勿論、医師論理にも関わってくる。
全くの診察でもなんでもない、憶測で人々の嗜虐心にネタを提供するという形で
「自分の責任は回避して」、金や承認や注目を集めるという
目的を果たしているんですね。
ご本人は否定するだろうけれど。まあ、そうです。
ならないと思います。
たいがいにしておけよと。
そんなえせ根拠を、人が欲しがるのは何故か
自分と同じでない奴は、おかしい!
(「なにが」同じなのでしょう?
(自分が世界の中心・自分が正義。)
と、いう思いだけが、自分を認められる
そんな甘え切った3歳児が多いからでは?
そう思います。
共感ベースで人を選別し続ければ、ついには一人になる。
DVなどが発生するのは、もしかしたら、これではないでしょうか。
共感「だけ」が欲しいのに、最終的に相手がいなくなり、支配してでも...。
人が生きてゆけるのは、根本的には、協力だと思います。
共感と協力は違います。
突き詰めれば、共感は「やってもらう」が主題で、協力は「自分が当事者」です。
社会は、見えない・私と同じ「ではない」大勢の・同じだからではない「からこそ」出来る協力で成り立っている。
生活は「同じではない」互いへの許力体制で回っている。
もう少し、考えてみるべきではないでしょうか?
>攻撃的で冷笑的であることが生き延びる上では力強い「ウェポン」になるということを経験的に習得して
>「身内」とはわずかな目くばせや符牒だけで身内認定できる技術を磨いてきた。みごとな達成だと思う。けれども、そうやって孜々として共感の輪を創り上げて
いたら、気がついたら「身内」以外とは意思疎通が困難になってきていたということはないのだろうか。
その「身内」認定にしても本人が「あいつはオレと同じケミストリーの人間だ」と思い込んでいるだけで、一種の関係妄想に過ぎない。
>だからこそ、あらゆる野蛮な時代は、人間が分散する時代であり、たがいに分離し敵意をもつ小集団がはびこる時代である。」(『大衆の反逆』)
内田樹の研究室
共感ベース社会の陥穽
http://blog.tatsuru.com/2024/07/27_0856.html