実際のことを言えば
こんなことをする人は、腐るほど世間にいます。
おおかたの人の陰口・悪口は、これです。
職場で、地元の井戸端会議で、道で
目をぎらつかせて・言葉を迸らせている人の話をちょっと注意深く聞き分けてみてください。
まあ、ほとんど、これです。
捏造の病名までいうかどうかは、色々ですが。
それほど、人の飢えた嗜虐心にマッチする、お手軽で絶大なる口実です。
ただ。表立って、堂々とする人は、それでも少ない。
ある楽器の先生が
ユーチューブで
ある楽器の扱い方で、その人の精神的なことがわかると、その未分け方(?)を
あれこれ話されていますが
ご本人的なお考えは別として
公に出す
全くの
無資格
騙りの中傷アドバイザー
他に言えば
ギリギリ中傷ラインを走る
占い師とか
いわゆる「先生」ですよね(笑)
需要はありますよ。そりゃ。
そういう中傷の、責任を他人に投げれる根拠を出してくれる人は。
勿論、公でそんなリスクを取るには
当然、する人の利益が大きいからです。当たり前。
「ちゃんと、これは信じる方が悪い無根拠ではないですか。私の責任?(笑)迷惑ですね」
という回避策をとっていても。
そんなことは、中傷アドバイザーの仕事になんの影響もない。
はっきりさせておかねば、
いたら、気がついたら「身内」以外とは意思疎通が困難になってきていたということはないのだろうか。
その「身内」認定にしても本人が「あいつはオレと同じケミストリーの人間だ」と思い込んでいるだけで、一種の関係妄想に過ぎない。
>だからこそ、あらゆる野蛮な時代は、人間が分散する時代であり、たがいに分離し敵意をもつ小集団がはびこる時代である。」(『大衆の反逆』)
内田樹の研究室
共感ベース社会の陥穽
http://blog.tatsuru.com/2024/07/27_0856.html
ならないと思います。
たいがいにしておけよと。
そんなえせ根拠を、人が欲しがるのは何故か
自分と同じでない奴は、おかしい!
(「なにが」同じなのでしょう?
(自分が世界の中心・自分が正義。)
と、いう思いだけが、自分を認められる
そんな甘え切った3歳児が多いからでは?
そう思います。
共感ベースで人を選別し続ければ、ついには一人になる。
DVなどが発生するのは、もしかしたら、これではないでしょうか。
共感「だけ」が欲しいのに、最終的に相手がいなくなり、支配してでも...。
人が生きてゆけるのは、根本的には、協力だと思います。
共感と協力は違います。
突き詰めれば、共感は「やってもらう」が主題で、協力は「自分が当事者」です。
社会は、見えない・私と同じ「ではない」大勢の・同じだからではない「からこそ」出来る協力で成り立っている。
生活は「同じではない」互いへの許力体制で回っている。
もう少し、考えてみるべきではないでしょうか?
>攻撃的で冷笑的であることが生き延びる上では力強い「ウェポン」になるということを経験的に習得して
>「身内」とはわずかな目くばせや符牒だけで身内認定できる技術を磨いてきた。みごとな達成だと思う。けれども、そうやって孜々として共感の輪を創り上げて