この問題はたとえば「両性具有者」としてエルキュリーヌ・バルバンをユートピア化したフーコーはもちろん、それについて批判的に言及しつつ論を展開していったバトラーにもわずかながらあると思うのですが、ある特定のセクシュアリティやジェンダーアイデンティティが「革命的」に見えたとして、その人たちはそれが「革命的」であるからそれを選択しているのではないということがジェンダー・セクシュアリティをめぐる議論では蔑ろにされているように見えます。
研究者はその人たちの実存を手がかりにして新たな理論を導出するのではなく、その人たちの実存を排除・疎外しない形の理論の構成を模索することを考えるべきだとわたしは思いますね……。

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