ワイも中学時代にそうだった。
“「父のことを思い出すと感じることは、腹の底から湧き上がる恐怖と憎悪です。”
ワイの父は「恐怖と憎悪の権化」だった。高校時代にそう名づけた。
高1のとき、思い切って反抗した(命がけなんだよまじで)。凹されて負けた。憎しみは消えなかった。が、恐怖は7割がたおさまった。いま考えると、憎悪が相手を下に見る嫌悪や軽蔑を含むようになったのかな?わからん。
都会に進学し、時間と距離を置いて楽になった。
10年後、健康を害して戻った。家庭のピエロを演じた。ワイは長女として、笑いのなかった家に笑いをもたらした。父母を許した気になっていた。
だが経済的・体力的事情で実家から出られず。(※出られない者に対する稼ぎ頭による「誰のおかげで飯が食えると思ってんだ」「嫌なら出ていけ」は、モラハラで、一種の脅迫か経済的虐待でもあります。)30代初め頃、父からくだらんことでネチネチ怒鳴られた。ブチ切れて再び大喧嘩した。ワイは目眩を発症して倒れた。が、何か自分の感情や核を取り戻した。
→ 「他の道を見つけられなかったが後悔している」両親殺害の罪で起訴された元九大生(19)裁判で語った最後の言葉 https://rkb.jp/contents/202309/202309077788/