安東量子さんのnote、被災地を思いながら読んだ。私は2011年5月に石巻、その後南三陸、相馬と一応「支援」ということで行った。一年たっても挨拶は放射線量だった。美しい草原が全て流されたあとだとも知った。避難所ではパートナーを亡くした方が最近みたパートナーとの夢をおもしろおかしく語ってくれた。その後は埼玉の避難所に定期的に通った。数年後、塩釜へいったときは高台から当日の様子を説明してくれたご夫婦に労われた。東京も大変だったでしょうと。娘さんが東京にいたそうだ。その旅の間、何度も突発的に涙がでて止まらなかった。