大雑把でラディカルな物言いで公然と差別をする人、個人への圧力を隠蔽するために公の「ケア」を実践している「いい人」、性的搾取を行う人に(知ろうとすれば知れたのに)形ばかりの懺悔の代わりに活躍を!と使い続ける当事者とは名ばかりのメディア、どれが一番マシかなと一瞬考えてしまった。どれも「賢い」いじめっ子同士の共謀に見えるけど、とかいうとこちらに加害性押し付けられるから怖くていえないけど。
もしある女性を傷つけている人が自分の信頼している人や好きな人であっても自分は傷つけられている人の方に味方をする!といっていた人でも「そんなのは傷つけられたとは言わない」とかいって豊富な知識と達者な表現で態度を翻すことはいくらでもできる。これ以上人生を無駄にしたくないから言葉足らずでも勇気を振り絞って誰かを頼ってもそういう反応と絶望に慣れなくてはいけないという課題が増えるだけだったりする。そんな循環を推測するのは難しいことではないはずなのに繰り返すのは認めたら壊れちゃうからとかではなくて単に不快だからだろう。
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