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祖父は10代前半から出稼ぎに行っており、職場の工場のそばにあった朝鮮のひとたちの集落によく食べ物を買いにいっていたそうです。穀物を砕いてまぶしたお餅をよくもらって食べていたとか。祖父は昔から・今でも素直で人懐っこい性格なので、集落のおばちゃんにただで食べ物もらったり、かわいがってもらったのかな。

いろいろ日本の高齢の方の話を聞いていたら、「朝鮮のひととは会話をするな」とか言われていたひともおり、交流があったり近所にいた朝鮮のひとたちの詳しい記憶が残っているひとは少なく感じました。
色鮮やかな(語り手は「派手」という表現をしていました)葬式をしていたとか、「色がきれいでひらひらした服」を着て歌ったり踊ったり花見をしてしているのを見たとか(「桜とカラフルな服がすごく幻想的な雰囲気だったので、忘れられない」とおっしゃっていた)は聞きました。

一緒にしていたノルティギなど遊びの内容や、家の中まで覚えている祖父は珍しいのかも。

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