日越合同調査
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sea1971/1996/25/1996_25_137/_pdf
・1940年9月の日本軍北部仏印進駐に始まる日仏共同支配期を経て, 1945年3月9日の日本軍によるいわゆる仏印処理以降は日本の単独支配下に置かれていた。そのような状況の中, 1945年の前半にベトナム北部では飢饅が発生した
・文献史料は豊富だが科学的かつ慎重な扱いが必要であって, 餓死者の数を明らかにするためには歴史社会学の方法による実地調査が重要な資料となることが指摘され, 本書の重点が21省・市の計23の地点における実地調査の結果の提示にあることが示されている。
・結論では, まず, 飢饅がクアンチ省以北の北部全域で発生し, 中心は北部の沿岸諸省で, 他の諸省でも被害は深刻だつたと述べられている。また, 調査地点中総人口に対する餓死者の比率の最も高い各地点と最も低い各地点とに基づいて平均値を出すと少なくとも15%になり, これが現実に近い数値だろうとしている。また, 飢饅による被害はすべての階層に及び, 特に雇農, 貧農, 手工業従事者, 漁民といつた貧しい階層が深刻な被害を受けていると指摘されている。次に, 飢饅を引き起こした最も根本的な原因は日本とフランスによる米の徴発であり, そのうち主として責任を負うべきなのは日本である。