カズオ・イシグロ『クララとお日さま』読了②
以下ネタバレあります。
この世界では「向上処置(=遺伝子編集)」を受けた子と受けていない子で明確に差別されることが第二部で判明する(しかもかなり唐突に)。かつ向上処置を受けることで弱ってしまう子もいるらしく、ジョジーの姉はそれで亡くなったことが分かる。
ジョジーもどんどんと弱っていく。
母親の計画は、ジョジーのAF(ロボット)を作り、ジョジーのことを学習しよく知るクララの知能をその器に入れ込むことで、ジェシー本人亡き後も「ジョジーを継続する」というもの。読み進めていく中でいやーな予感がしていたけれど当たってしまった。
クララは最後、ジョジーを継続することはできたと思うが完璧な再現はできないと語る。
「......どんなにがんばって手を伸ばしても、つねにその先に何かが残されているだろうと思うからです。......」
継続できないような特別なものはジョジーの中にはない、との言葉をクララは否定する。
「……特別な何かはあります。ただ、それはジョジーの中ではなく、ジョジーを愛する人々の中にありました。……」
人工知能は他人になり得るか、ある人を完全に模倣できるか。行き着くのは人間の「愛」とは何か、ということ。ここの回答の導き方はすごく綺麗。
カズオ・イシグロ『クララとお日さま』読了④
テーマについて考える。
AFであるクララが、ジョジーとの親交を通じて、人間が人間をかたちづくるためのもの(=その人に対する愛)を知る……っていうのが作品のテーマかなと思う。
ただこの作品、だからと言って「クララとジョジーの友情」が一番重要な部分かと言われればそうではなく、「母親の葛藤や選択」の方が強い気もしている。
ジョジーの母親、リックの母親、向上処置を受けた子たちの母親……ここに入れていいのかはわからないけれど、店長さんも。
そういえば冒頭に、「母・しず子をしのんで」とある。
これは完全に個人の感想なんですけど、クララも、ジョジーの親友というよりは母親の立ち回りに近かった気がするんだよなあ。
カズオ・イシグロ『クララとお日さま』読了③
ちなみにこの結論を語るのが六部構成の第六部、ラスト。しかも廃品置場で。そう、クララは最後捨てられてしまう。しかも何かがあったというより、どうやらこれはAFの運命というか、明言されていないが、子どもが成長したら捨てられるものらしいというのが読んでいると雰囲気でわかる。いや本当に……イシグロの作品のこういうところが好きです。
・クララが溶液をクーティングズマシンに流した後の、品質が落ちた表現もすごい。そしてそのタイミングでの人間の感情の波や恐ろしさの表現も。
どこか牧歌的でもあるジョジーとの家での暮らしと真逆の、洪水のような、畳みかけるような文章。こんな恐ろしい話を読んでいたんだっけ…と思わされる。
・リックの母親が突然放った「ファシスト」という言葉に驚く。『日の名残り』を彷彿とさせるよね〜
向上処置を受けた子と受けていない子。少女とAF。 父親の所属する、かつてはエリートだった人たちのコミュニティ。──イシグロは人間や社会の上下関係や、コミュニティの存在を当たり前のように組み込んでくる。日本で生まれたのちイギリスで育ち、イギリスに帰化した彼ならではの感性なんだろうか。