『男らしさの終焉』、社会における「普通」の特権を無自覚に享受する白人・ミドルクラス・ヘテロセクシャルの男性を「デフォルトマン」と名付け、男性から見た男性性やその有害性などについて語られている本で面白い。
自分はフィクションコンテンツに登場する非実在キャラクターの有害な男性性描写に悪い萌えかたをしがちなオタクなのでかなり恐る恐る読み始めたんだけど、フェミニズムの本とかで出てきた話とも重なる部分がめちゃくちゃ多いな〜というのがとりあえずの感想。
このままでは社会はどん詰まりだし、悪しき家父長制を当事者である男性も一緒になってみんなで解体していく必要があるという話になっていくのかな…?
#読書
有権者が現政権を(無関心だったり消極的であれ)支持し続けてきた理由もこれなのか……?
>“暴力とは問題を解決する方法だと思い込んで育った人間は、不幸なことに、暴力という名の解決策を多くの人に伝えるキャリアを選びうる。
心理学者のアリス・ミラーはこの考えを推し進め、一九三〇年代のドイツで、ヒトラーとナチスの残虐行為に人々が寛容だったのは、人々の育った環境が原因だと考えた。
体罰や父親への盲目的服従を経験した有権者にとって、非情で独裁的なナチが奇妙なほど身近に思えたのは不思議ではない。”
(グレイソン・ペリー 著『男らしさの終焉』より)