本来は思いやりというより教育とかシステムをなんとかするべき話でもあるんだけど、私の場合は様々な事情が重なって運良くそういうふうに思えるキッカケが人生にあり、そこから本を読んだり考えたりみたいなことを遅ればせながら始めてて、でもキッカケになったあれやこれやが無かったら差別に加担する側になっていた可能性がかなり高いので「気付けた」人の意見とか見ると他人事じゃなくてなんか心のなかで手を握りたくなってしまうんだよな…
今だって何もかも全然足りてなくて、自分が必要なことを最低限でもきちんと出来てるとは思えないし、続けなきゃ意味のないことだと思うんだけどそれでも最初の気付きが人によっては一番難しいような気がする
共感と経験から連帯して女性差別に怒って反対していた『フェミニスト』の人達が、やはり共感から連帯してトランス差別に走るところを何回も見ているので、そういった気付き方に危うさがあるのはわかるんだけど、自分に子どもが生まれて初めて自身の行っていた差別行為に気がついて反省してこれからは変えていきたいと言っている人が「そんな気付き方じゃどうせ駄目」とか「そんな話はすでに何度もされている」とか言われてるのを見たらめちゃくちゃ悲しくなってしまった
今初めてようやく過ちに気づけた人はこれからいくらでも学んで変えていかれると思うんだけど、被差別者の人が憤るのも別ベクトルでは妥当なわけで、こんなことを考えて落ち込んでる時点で、正しい反差別と正しくない反差別があるなら私はおそらく後者なんだろうな…と思う
いやこういう考え方って多分本当に全然正しくなくて、長期的に考えると怠惰は毒ってかんじでマジでマジで良くないんだというのは本とかで読んでも知識としてはわかるんだけど、実体験として加害者をペチャンコにすると本当に、本当にどんどん事態が悪化してくことのほうが圧倒的に多いのでなんかこう……どうすればいいんだろうな………
でもトーンポリシングとかの亜種だよな〜……うーん…
知識も経験も無くて、自分が大して困ってないようなことで何か下手に発言して間違えて正しい人に怒られるの嫌だから怖いし近寄らんとこ………って大多数の人達が無視決め込んでる間に、権力のある差別主義者がカルトと手を組んですべてをめちゃくちゃにしてるのあまりにもつらすぎる…
自分がとびきり愚かな人間だから余計にそう思うのかもしれないけど人間って本当に愚かだ……