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自分の中に生じたもの(それを「物語」と呼んでもよい)を表現しようとしたとき、自分の手にした表現手段(メディア)では最適な形にはできないが、とはいえ今から新しいメディアに(少なくとも今持っているのと同等のレベルにまで)習熟するのは無理……となることは多々あるはずなんですよね。だからといって「それは諦めろ」というのは酷ですよ。そんな事情なんて鑑賞者には関係ないのでぜんぜん好きに言えばいいんですけど、そこに傲慢さがあるのは事実ですよね、と思うわけです。

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