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すべての表現者が、あらゆる、とまではいかなくとも複数の表現媒体の中からある媒体を選択する/“できる”わけでないのは自明のことなので、「その媒体特有の表現をすること」「鑑賞においてそれに着目すること」を過剰に賞揚したり、ましてや「(他の媒体もあるのに)なぜその媒体を選んだのか?」と問うたり、「選んだなら選んだなりの表現をしろ」と求めたりするのは、鑑賞者の傲慢にほかならないですよね、と思います。もちろん鑑賞者は傲慢なものなので全くそれでよいのですけど。

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