例えば同性愛者が異性愛規範をきっかけに自分が同性愛者であることに気付いたという個人の体験談があっても「異性愛規範を飲み込めない?それなら即ち同性愛者だね!なんておかしい。規範に批判的な自分も同性愛者だと言うのか/異性愛者の自分だって規範にモヤモヤしてるのに飲み込んでるとでも思っているのか」なんてのは曲解だと分かるだろうに、ノンバイナリーとジェンダー規範等になったらそんな藁人形論法がうじゃうじゃ出てくるの何なん。

『マンガでわかるLGBTQ+』パレットーク,ケイカ


bookmeter.com/reviews/11782456
ケース1も読んでほしい。この人は女の子だからという規範に不服だったが、単にそれだけでなく、それ以上に女の子だという事に違和感があると述べている。つまり、「女の子だから」という規範がイヤだから自分は女の子ではない、という因果関係ではないという事。トランス男性やノンバイナリーの方々はよくそう誤解されがちだと思う。あなたは「女の子らしさ」という規範がイヤなだけの女の子だと勝手に断定されやすい。でも自分は「女の子」ではないのに女の子扱いされる事への違和感と言った方が近い気がする…。うまく言語化できてないな。これも当事者からしたらちょっと違うと思うかもしれないけど。他人の感覚だから厳密

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他人の感覚だから厳密には理解できない。だからこそ安易に理解した気になって否定する、というのはよくないと思う。

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