特攻隊員の献身があった「から」今の日本があるわけではもちろんなく(「から」という言葉の粗雑すぎる使用、因果関係の捏造)、特攻隊員は当時の日本政府の愚劣極まる戦争方針の犠牲となって、勝機に全く結びつかないやり方で死を強制されたのであり、そのような若者の死は戦後日本がゼロからどころかマイナスから再出発せざるを得ない要因の一つとなったし、「今の日本がある」という言葉に暗黙のうちに込められているであろう肯定的な評価とは一切関係がない。逆に、特攻における若者の命の軽視が今日では非正規雇用に代表される悪辣な労働条件の中に脈々と息づいているということであれば、冒頭の特攻隊員の献身があった「から」今の日本があるという命題は多少の意味を持つと思う。