例えば今の日本の60代以上の男性でミソジニーでない人を見つける方が大変なくらいじゃないか。またはそれをまったく内面化してない女性もそんなにはいないと私の観測範囲内だけど思う。自分も含めてだけど。
そしてそれはかなり頑迷なもので、ちょっとやそっとで気がついてくれるようなものではない。Twitterで普段啓けたような発言をしている人たちでさえ、そういう人には常にぶつかるし、大抵の場合、言ったって絶対に分からない。
夫も彼の職場は「ミソジニーだらけ」だといつも言っているし、そういっている彼だって、最近はだいぶ良くなってきたけど、前は結構変なこと言ってた。…と言っても、世間一般から比べたら、元々かなりマシな方だったけど。そしてその彼とかつてのそう言うものを内面化していた私はわりかし似たもの同士だった。
私の仕事関係でもそんな人は掃いて捨てるほどいるし、外国人差別や障害者差別的なものをどこかに普通に持っているんだなと思うことは普段の会話で端々に感じるし、なるべくその場でチクリと言い返すようにはするけど、何か別の文脈の中で出てくるものなので指摘ばかりをしているわけにもいかない。
今もある勉強会で偉い先生の発言にモヤッたまま終わってしまった。彼は変わらないと思う。勉強会自体はとても有意義なものだったけれども。
それって、怠けるだけだし、わがままになるだけだから、簡単だと思う人もいるかもしれないけど、実際にやろうとすると、実はかなり難しいんですよ。時にかなり頑張らないと出来ないくらいには。
普通の人はそういうのが一番怖いものですからね。人にもよるけど、案外、正しいことを言ったりやったり、他人のために身を粉にして頑張ったりする方が楽だったりもするんです。
特に日本人には、結構大変なタスク。
私もそうだったし(自分では元々ものすごくわがままだと思っていたし、周囲にもそう言われていたけれど、それにもかかわらず)、クライアントも大抵そうですよ。わがままになったり、普通に身近な人に依存したり出来るようになるのが一番難しい。
よく皆んな勘違いしているけど、依存症の人も依存する病ではないですからね。他者に依存できない病です。結果としては振る舞いは周囲に迷惑かけているかもしれないけど、本人的には他者に依存することを自分に許していない。
依存症に限らず、何年もかけて面接して、それができるようになっただけで(いい意味で自己中に生きられるようになっただけで)、8割がた良くなってきたんじゃないかと思えるくらいには大事なことだと私は思っています。