SNS等で活動を公表していなくても、動いている人たちはいるし、自分にできることをやっている人たちは思ったよりたくさんいます。私も活動の全てを書いたり載せたりはしていません。 「沈黙は加担」という言葉は、弾圧あるいは排斥される当事者がそう声を上げることは当然でありつつも、支援者/アライ/非当事者までもがそれに乗っかるのは社会のエイブリズムを加速させる面もあります。また、マイノリティ当事者の声をマジョリティが自分事に引き寄せすぎることで「怒りの乗っ取り」が起こり、運動がマジョリティにとって都合のいいものとして利用されてしまう(マジョリティ側の他の狙いと抱き合わせにされてしまう)ことも、間近で見てきました。 皆それぞれの場で、できることをやるしかないです。できることを探そうにも、何かをやろうにも、それさえタイミングやチャンスという運の要素があるのも事実です。できない人を責める社会にしてはいけないですし、できる人を担ぎ上げる社会にしてもいけないです。
私は現在、人権運動において一人のマイノリティ当事者を「アイコン」(あるいは「人柱」)にすることに批判的な立場を取っています。 矢面に立つ決断をされた方の覚悟は心から尊敬します。しかし、運動というものは上記のように一人でやれるものではないと思い知った今、矢面に立つ人がいるということは、その人を矢面に立たせる方向に進めた誰かあるいは周囲の人々がいることも知りました。 矢面に引っ張り出された当事者は、その後も差別構造が盤石なこの社会を生きていくのです。少し考えればわかるように、それは困難極まります。一個人のマイノリティ当事者を攻撃の矢面に立たせる(引っ張り出す)なんて状況は、本来起きてはいけないことです。 私たちの活動は誰も矢面に立たない方向性を選択しました。そのため、SNS/インターネットではほとんど何も公表していません。私がロビー活動をしていると明かすことも今後ないかもしれません。そのため、私含めメンバーはSNS/インターネット上では「なにもしていない」と見做れるのだろうなと思います。しかし、皆それぞれ、できることを可能な限りやっています。 冒頭に戻りますが、「沈黙は加担」という言葉を向ける先を誤らないでください。他者に向けるためのものではなく、権力と己に繰り返し問うためのものです。
無関心層を責めるなという意味ではありません。
マイノリティがマジョリティに「沈黙は加担」だと声を上げたとき、マジョリティがアライとして同じように「沈黙は加担」だと言って沈黙を破ったところで、マジョリティとして差別構造に加担していることは変わりない。
マジョリティあるいは沈黙しなくて済む立場の者が「沈黙は加担」だと言うのであれば、「(声を上げた)自分は加担していない」とは間違っても思ってはいけないし、自分もまた沈黙を強いている側であることを自覚し、自分のマジョリティ性/特権から目を逸らしてはいけない。
自戒も込めて、最近本当によく思っていることです。
(大事な部分に誤字が含まれていたため、元の投稿ツリーを削除し、再投稿しています)
@lowroarrawr ご指摘ありがとうございます😭🙏🏼
共にやっていきましょう🤝
@UbuHanabusa 🤝🤝🤝🤝🤝🤝🤝🤝🤝🤝
@UbuHanabusa すみません、マクリーン判決についてですが、マクリーン氏の当時の在留資格は期限付きで、更新が必要なものだったと思います…。
声を上げてくださりありがとうございます