フィクションの作中で死亡する(死亡状態にある)キャラのことを全て「冷蔵庫の〇〇」と呼ぶの、既存の「冷蔵庫の女」という用語に寄せ過ぎていてミスリードを招くし、感想としても分析や批評としても雑すぎる、と見かけるたびに思っている。
物語から退場する展開や、キャラの属性と役割、メインかモブか、主人公との権力関係、作品のテーマなど、あらゆる要素を無視して「作中で不遇な死を遂げるキャラ」を十把一絡げに「冷蔵庫の〇〇」と呼ぶのはあまりに雑なので、表象を分析して言語化を試みるなら、まず用語を適切に使ってほしい。
「冷蔵庫の女/fridging」は「男性主人公を成長させたり動機づけさせたりするためのギミックとしてヒロインの女性キャラが都合よく殺害される展開」を指すフェミニズム批評の用語。
1994年『グリーンランタン』で主人公の男性キャラがヒーローとしての覚悟を抱くにあたるオリジンとして、恋人の女性キャラが無惨に殺害され「冷蔵庫に詰められている」のを主人公が発見するエピソードがあり、フェミニストのコミックライターやコミックファンからの批判が集まり、該当エピソードを批評したサイトが発表された。このサイト「冷蔵庫の中の女たち(Women in Refrigerator)」が、「冷蔵庫の中の女/冷蔵庫の女」の語源。 1/2
追記。
当たり前だけど、フィクションの作中で女性キャラが死によって物語から退場したとしても、その全てが「冷蔵庫の女」ではないです。「作中で死ぬ女性キャラ」イコール「冷蔵庫の女」ではない。
女性キャラなど、社会的弱者の属性を持つキャラが作中で死によって退場させられてしまうこと、そしてその描写が社会に多いこと自体にはもちろん問題があり、それは批判・批評・分析されるべきです。
ただ、なんでもかんでも「冷蔵庫の女」ではない、ということ。
似た話題に「マニック・ピクシー・ドリーム・ガール」や「ボーン・セクシー・イエスタデイ」「ダムゼル・イン・ディストレス」「黄金の心を持った娼婦」「メアリー・スー」等もあるけど、これらも結構ごっちゃにされてたり、なんでもかんでも一つの用語で"説明"(こじつけや誤用を含む)されていたりするので、そういうの見ると「雑やなぁ」と思う。