一般市民たちがパレスチナ人を標的にして殴る蹴るの暴行を働いていたり、パレスチナ学生寮を大勢が襲っているのを見ると、16世紀宗教戦争や関東大震災の朝鮮人大量虐殺はこうだったのかと歴史のプリズムを逆さにして見ているかのように思う。無数の戦争や植民地支配の記憶がつねに思い起こさせられる。
そうした暴力はそれをありのままに記録しなければならないと信じた人びとの意思と力によって、後代に伝承されてきた。他方で、歴史の経験に学ぶことの著しい困難も同様に認めねばならない。何ができるか?自覚と意識を持って、みずから記録の伝承に加わることは、できることのひとつではないだろうか。
マルク・ブロック「現在について考えることなくして過去を理解するのは不可能である」「過去が現在全体を支配しているというのではない。しかし過去なしには現在は理解できないのだ」(『奇妙な敗北』)