別の語り部がいった。「母は、行政もチッソも赦すといった。しかしそれは、水に流す、忘れるということではない。私を傷つけたあなたを人間として受け入れるから、あなたも同じ人間として私の痛みを知って二度と痛みを経験する人が出ない未来を一緒に作ってくれ、という相手への突き付けにも似た、最後の覚悟の祈りなのです」と。
「ゆるす」という言葉は、漢字では「許」と「赦」の二つがあてられる。前者は許可する意で、後者は本来許可できない悪いことをした相手をせめないことだ。水俣では「赦す」というその女性患者と出会い人生が変えられていった加害者側の人が少なからずいた。人は自分が酷いことをしたとき、赦されてはじめて、自分の罪と痛みと責任に向き合えることもあるのだろう。(次回は12月6日掲載)
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