「やる気がないなら帰れ!」と先生に言われても帰ってはならない。「先生は帰れと言いましたよね。ご自分の発言に責任を持ってください。帰れと言っておいて実際に帰ったら怒るなんて馬鹿げてますよね」と言ってもならない。
ふざけてると思いますか?そのとおり。茶番です。でも世の中ってそういう茶番が満ちているから、「えらい人の茶番に付き合ってやらねばならない」というのがこのよくある話に込められているんだと思います。

「帰れと言われた以上は帰ってもよい。人間は自分の発言が言葉どおりに解釈されても責任を持たねばならない。もしそれが嫌なら、はじめから『帰るな、やる気を出せ』と言えばよいのである」と考えていると社会で苦労すると思います。
しかも本当に学ぶべきなのは「先生!俺たち帰りません!ご指導よろしくお願いします!」と大声で言いながら「このボンクラ教師が」と心の中で舌を出す姿勢です。やる気がないと言われて本気で反省するようでは危険です。メンタルを病んでしまいます。
そういう面従腹背ができるようになってようやく社会で使い物になる人間になります。馬鹿げてる。私もそう思います。でも、そうなんだと思うのです。

そりゃ、教師は「我々が身につけてほしいのは面従腹背である」なんて言いません。「心から反省しろ」と言いますし、本人もそう思っているでしょう。
でも、「やる気がないなら帰れ」を信じてはいけないのと同様、「心から反省しろ」を信じてもいけません。それが健全な精神というものです。
こういうことをやらせていると生徒が人間嫌いになると思いますが、それも織り込み済みだと思います。豊臣秀吉は日本史上最高の世渡り上手でしょうが、彼は自分のことを猿猿と呼んでいた人間が、自分が偉くなったら「羽柴様」「殿下」と平伏するところを何度も見たわけです。めちゃくちゃ人間不信になったはずです。でもたぶん、世渡り上手な人間って「人間なんてこんなもんだ」と上手く思える人なんじゃないかな。

私が秀吉だったら「猿はおまえらだろ」と思ったに違いないのです。強いと見れば媚び弱いと見ればいじめる。餌をやれば芸をし鞭でぶてば怯える。そんなものだと思ったから芸をする猿に餌をやり、逆らう猿を鞭でなぐって天下を取ったんじゃないでしょうか。

秀吉が「こいつは人間だ」と思えた人間が果たしていたかどうか。奥さんや弟や前田利家や蜂須賀小六はどうだったのか。淀君や秀頼はどうだったのか。もうわかりませんが、とにかく彼は天下一の猿回しを演じきったのです。夢のまた夢だな。

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信長も家康もたいがいなので、あそこらへんの人らが命の価値をどう考えていたか想像すると空恐ろしくなるような。。。

人の命なんてなんとも思ってないでしょうね……

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