判事ひとりひとりを吟味してバツをつけるなり、つけないなり判断するのが最善の策だとわかっていても、国民審査の制度自体が知られていない。それどころか間違って丸をつけたりしてしまうケースもあり、吟味して適切に運用をする門前にあると思う。
国民審査についてはやりにくい、やり方を幅広く通知してないなど有権者に吟味させたり運用させたりしないための工夫をしてる疑惑がある。
運用の門前に立つことが先。門前に立ったら門を開けて最善の運用方法を使えばいい。これは権利。なのにまともに運用してないから無価値になってる。
最高裁判所に勝共連合(統一教会)的なものを持ち込んだのは石田和外でしょうに。判事時代は結構抑えていたようだけど、退官後はむき出しだったわけで、そのような問題が法曹内部、その周辺に綿々と脈々と馴染んでいて、さらに承継されていないはずがない。