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丹下健三の論説を読んでいるのだけど、かなり起業家精神的なものを感じる。
建築を通じて社会なり民衆なりに働きかけ、相互作用を経て建築家自身が変容する。建築家ないし建築自体は実験装置としての役割を持つ、というようなことが繰り返し語られるのだけど、江副浩正なんかもかなり近しいことを言っていた。
正しく実験装置であるために体系をきちんと理解し、歴史に自分を位置付けなければならない、あたりのくだりは、ちょっとエリート臭さが強すぎるというか、時代が許した大言壮語という気もするが、とはいえこういうマインド持ってる人でなければデカい(文字通り!)記念碑をブチ建てることなんかできないのよね。

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