ジェリー・Z・ミュラー「The Tyranny of Metrics」の邦題が「測りすぎ なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?」だったのを思い出すと、つまりエビデンスで殴るというのは簡単に言えばエビデンスの暴政ということだし、「なぜ科学コミュニケーションは失敗するのか?」という広報組織官僚制とその機能不全の話じゃないの、ということまで思い至るので、そんなに変だとは思わなかったのだけど

一定の人たちの逆鱗に触れていて、その反応とかを見てるとまさにその典型が無自覚に撒き散らされてるわけで

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文書化や数値化といった官僚組織のなかでの活動が必要ないという話ではなく、結局のところその集まっているデータを運用してほんとうにパフォーマンス評価をやって組織をよくできるかどうか、ということが大事なのと同じで、「科学的」データを揃えて理論武装したたけでコミュニケーションは万全とか思っているなら同様の失敗をするし当初の目的も達成されるかどうか微妙なのは当然、というただそれだけの話だと思うし、だいじなエビデンスを銀の弾丸とか錦の御旗として運用したがる連中が多すぎなのだよ

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