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修行僧みたいだね…って言われた話(日記) 

人生、考え方次第でなんとでもなる!やろうとすればなんでもできる!イエスポジティブ自己肯定☆みたいな耳障りのいい言葉に思考を止めて、押し流されそうになってはいけないと思っていて、
本当に自分を守るのはそういった言葉ではなく、ただ冷静に呪いの正体を見極め、決して侮らず、挑発せず、死ぬまでずっと背中は見せず、腰の銃に手をつけたまま静かに距離を取り続けていくことだと、私は思う

少し心が強くなった気がすると、気持ちも大きくなって力試ししようとする
人間はみんなきっとそう
なんでかというと、そりゃ心配事を消せるのなら消した方が心に負担をかけずに済むから 要は面倒くさいからである
でもそれは呪い側からしたらそんな美味しいタイミングはない
とはいえ辛いじゃん、ずっと警戒して重荷を背負ったまま歩くなんて無理じゃん、楽になりたいじゃん、という思考のループに陥って、ゆっくり状況を整理する
いや……ただ楽になりたいから生きているのか?と

長すぎて収まらない 

そんな壮大な夢がなくても、とりあえず明日を生きたい理由があり、会いたい人たちに会いたくて、なりたい自分になりたいから生きているのだとしたら、そんな、ぽっと出の「楽になりたい」なんていう軽すぎる理由で足元をすくわれるのは余りにも勿体ない話でさ
多少の重荷がなんだ、苦労がなんだ、死んだら戻れないんだ、必死で生きることにしがみつこうとせんでどうすると

水樹奈々様は「信じるものを信じればいい」と言っていたけど、それは「信じたいものだけ信じれば全部うまくいくよ」という意味ではないのよ

あらゆる可能性を考え、警戒を怠らず、他人に良心があると過剰な期待はせず、かといって心を閉じすぎず、ただ目の前にある事象を真実のまま受け取ろうとする心だけが自分を呪いから守ると、自分しか自分を守れんと

そういう話を他人にしたら、修行僧みたいだね……ってドン引きされた

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