相模原障害者施設殺傷事件について言いたいこと(1)
一昨日ポストしたように、私にとってあの事件は全然ひとごとではないのだけれど、個人的に今、言いたいことが二つある。
一つは、善意の世間の方に。
あの事件以来、障害者を施設(特に大規模施設)に隔離するのがそもそも間違いだという論評が多いのだけど、そんなことない、と言いたい。
今、「地域移行」が叫ばれて、大規模施設は新設出来なくなった。でも、考えてみて。もし、あなたが今、どこかの施設で暮らすとして、プールやらの設備が充実している大規模なホテルと、小さな民宿とどちらがいい?大規模な施設では、たくさんの職員がいて、バス旅行やらの行事も柔軟性が高く行える。必ずしも、大規模施設が悪くてグループホームが良いなんて言えないでしょ?
もちろん、障害によっては、民宿みたいな所が向いている人もいる。でも、たとえば身体障害者の人が、自分が一人暮らしが良いからって重度知的障害者もそうだと代弁をするのは間違っていると思う。それこそ、当事者をないがしろにしないで、と言いたい。当事者は自分で語れないから、親が語るわけだけど、青い芝の会などの主張に引っ張られて、親と本人を敵対関係で捉えたりされるけれど、親以上に分かる人間はいないのよ。
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相模原障害者施設殺傷事件について言いたいこと(3)
あなたは、分かっていなかった。親が障害のある子をどんなに愛しているか。親が欲しているのは、子の死ではなくて、子が生を続けそれを謳歌し、そして親が子を愛し続けるための「手助け」だということを。
あなたは、なぜ役に立たない障害者はいない方が世界が良くなるという妄想に取り憑かれてしまったのだろう。分からないけれど、第二次安倍政権以降、社会に蔓延した差別の空気が無関係だということはあるまい。その空気は、介護を自助、共助に押し込める「自己責任」論と表裏一体だ。
介護職の給料が、大企業の正社員並みの金額だったら!介護職に、その実に見合っただけの名誉が与えられていたら!この事件は起こらなかったのではないかと思うし、施設などの人員を増やして給与をあげること、そこにきちんと予算を配分すること、それが今、私が切実にこの日本の社会に望むことです。
了