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京大工業化学科の開祖である喜多源逸は,「工学」=「実学」の側面が色濃かった1930年代の時点ですでに基礎研究の重要性を理解し,「応用をやるなら基礎をやれ」の学風を作り上げた.

古川安,化学者たちの京都学派,京都大学学術出版会(2017).

殊大学という場所においては,応用こそ役に立たない.

「喜多は,普段の授業でも学生たちに基礎を勉強しておくように繰り返し言った.喜多自身は有機工業化学や石炭化学のような応用科目を講じていたが,講義の開口一番に,「こんな話は,何の役にも立たん.専門の事は,会社に入ったら,いくらでも出来る.今は基礎になる物理化学や有機化学をしっかり勉強しとくんやな.」と諭すように言った」

出典:同上.

余談であるが,今ネット等で喜多源逸の名を検索すると,スーツに白衣を纏い,髭を生やしたいかにも「化学者」を着飾った姿の写真が出てくるが,実際には「学者というより野人」であり,表皮の剥げ落ちた革製の鞄と色褪せた傘を持ち歩き,夏には下着の半袖シャツとステテコ姿で研究をしていたというエピソードが好きすぎる.

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