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映画「オッペンハイマー」では,2人の人物に焦点が当てられ,それぞれの時間軸・空間軸に従って物語が展開される.それは,対「モノ」タイプの人間であるOppenheimerと,対「ヒト」タイプの人間であるLewis Strauss,前者は科学者であり,後者は政治官僚である.

史実では対立した2人であるが,都合の良いものしか見なくなった結果,そこにしか目が行かなくなるという,人間の根源的性質を共有している.

結局人間というのは皆単純なのである(作中,ジーンの濡れ場シーンでの重要な台詞).餌に群がる魚の如く,自分が見たいと思ったものしか見ることができない.我々が理解していると思っている現実世界は,実は自分にとって都合の良い,心地いいと思う情報の集合でしかないのかもしれない.

その点,対人タイプの人間であるストロースは,人前で恥をかかされたという過去を根に持ち,それが呪いとなって取り憑かれた結果,物事を,それが相手への復讐になるかどうかというフィルターを通してでしか世界を見ることができなくなり,まともな認知すらままならない 作中で最も「人間的」な人物である.けれども,オッペンハイマーもまた,自分にとって心地のいい科学にのめり込み,理論計算を如何に実践するかという現実しか見なくなった結果,原爆を作ってしまった.そこでは,「道徳」,「倫理」,あるいは崇高な「論理的な人間」という,後から考えた言い訳は全く機能しない

「オッペンハイマー」は,絶対悪を作って,単なる2項対立で完結させるのではなくて,もっと根源的な問いを立てている.

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