自分の心の整理も兼ねて、少し時系列で振り返りつつ語らせてください。具体的な時間は書かないのでご安心を。
寄居駅に到着すると、既にデキとの連結作業が開始されていました(←若干出遅れ)。ここまで8000系に乗車してやってきたという事実が、余計に10000系の廃車を信じられないものにさせ。
その後移動して、沿線某所にて撮影を試みる。デキの車体長を読み間違えた結果、11004Fの顔と架線柱が被るのを咄嗟に回避→後ろが切れる…という結果に。光線がほぼほぼ完璧だっただけに悔しいです。
すごく個人的なことを言いますが、この編成が第一線で活躍していた時代の話。いざ撮影しようとするとなかなか遭遇できず、離脱が急だったこともあってほとんど記録を残せていない編成でした。今更になって駆けつけても、ツキが回ってこないのは当たり前だったかもしれません。後追いもご覧の有様で…
途中駅で休む彼を追い抜き、運命の地・羽生へ。営業列車を出すための停車位置調整などありつつ、東武への引き渡し準備が進みます。
それぞれ異なる場所で活躍を続けてきた同型車たちの、束の間の共演。普段どおりの運用に就く彼らも、今日ばかりは11004Fの活躍と、思うように走れなかった晩年を労うように見えました。
奥ではデキとの切り離しが済んだのでしょうか、パンタグラフが上げられます。ごく僅かな時間点った尾灯(今にして思えば、おそらく留置中の表示でしょう)への期待も空しく、彼は身をくねらせながら、下り4番線で発車を待つのみとなります。しかしこの時点では、館林津覇のセンも捨てきれず。
車体の褪せは否めないものの、プラットホームに佇む彼の姿は、閉ざされた扉を除けば現役さながら。担当される車掌さんが、広報用か資料用か写真を撮られたのち、感慨深げに車体を見つめていた―少なくとも私には、そのように見えました。その背中を見るにつけ、私もこの旅の針路を察し、覚悟を決め。
ここまで牽かれてきたデキ301を見送ると、ついに出発のようで。発車の間際に、車内から「発車します」の声が漏れ聞こえ。それは要員への合図だったのでしょうが…もはや乗せることが叶わない旅客への、最後の挨拶のように思えてなりませんでした。
(※音量注意、カメラの音が入ってしまっています)
廃車回送というよりも、「客を乗せないラストラン」、感情だけを乗せていったような…とにかく、不思議な感覚。ただ一つだけ言えることは、数年のブランクを置いてなお、彼の走りにはなお一寸の翳りもない、堂々としたものでした。
あいにく夕方から外せない用事があり、ここまでで離脱しました。
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改めて、この電車に関わってきたすべての方に、そしてあの日起きたことの原因を究明すべくご尽力された方々に、最大限の賛辞を。
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