3.11. アメリカにいた私は、焦り狂った。津波の映像を見て、日本人が追ってくる大津波から逃れようとする姿に、自分の喉からカラダの奥まで手を突っ込まれたような苦痛を感じた。うちの街の大きなスーパーが、「日本を助けよう」という垂れ幕を全てのレジに掲げて寄付を募っているのを見て、泣いてしまい、レジに並べなくなってしまった。
電源喪失したら、メルトダウンが確実な原子炉について嘘をついた東電、経産省、メディアを絶対に許せないと思った。3号機は既にプルサーマル化して、特に危険だったことも伏せたメディア。一年前に大きく紙面でプルサーマル化を祝った読売と朝日新聞はしらばっくれていた。原子炉が爆発すると、日本気象協会は、風の向きを予測発表しないように会員に依頼。日本人は海外の気象庁の発表に頼ることになった。友人や家族の為に私は情報を英語で収集し、SNSで流し続けて、腱鞘炎になった。春休みだったので、気がつくと1日に一食しかせず、ずーっと情報を流し続けてた。大学が再開したら、私の形相があまりにも変わり果てて、驚かれた。
福島の人たちの無念はいかほどか。
私は今でも、原発村とその一味の議員、官僚と大手メディアを許せない。