そもそもね。私は政治の話を他の話題と分ける思考回路がないんですね。だから、蒼象は政治の話はOKですよね?と念を押される方が今も時々おられるんですが、オフコースと答える以外ありません。

冬至にゆず湯の話をしても良いですか?なんて誰も確認しませんよね。それと同じです。(変な例え

一方で、政治の話は、しんどい人にはしんどいんだとは思います。もちろん、そんなことではダメだとか、生活は政治と一体だとか、頭ではわかっていても、説得されても、できれば避けたい、耳にしたくない人というのはかなりの数いるのですよね。

でも、趣味の話じゃないということなんですよね。政治の話は。誰もが巻き込まれる。

無関心で通るものではない。そこまで政治の話が嫌われるのは、今の日本の政治がお世辞にも美しくないこともその理由だと思います。勢い呪詛が多くなる。罵倒も多くなる。これがキツイんでしょう。

だからと言って、生理的に忌避の姿勢のある人の首に、無理やり縄をかけるわけにもいかない。説教するのは余計嫌がられる。さあ。というところの根気強さが必要なんじゃないかな。

とか言ってましてもね、非常時は近づいているという危機感は自分は強く持っていて、いつまで根気強くできるのよという、苛立ちとジレンマの中にいます。

毎日が絶望で、毎日がやり直しで。

ショートカットはないので目の前の一人一人に話しかけるのだろうと思っているんですけどね。

まさに。私はソーシャルメディアは政治を語り続ける感じ。わざとではないんだけれど、米国から日本語のソーシャルメディアに参加すると、どうしても日本の気になること、心配なことの発信になってしまう。今は歴史の大きな転換期で、どの先進国も難題が山積み。パーフェクトな民主主義はどこにも存在しないけれど、程度の差ということでは日本は最下位、歴史の大きな転換期に、世界一高齢化した社会プラス先進国で最も劣化した政治という大きな二つのハンディでは、生き残りも難しい。ひたすら米国にすがるだけ。末期的状況。


米国という圧倒的な壁に「軍事的に守られ」「政治的に支配される」ことで自国の政治や社会の方向性を、皆が主体的に考える習慣を退化させたのではないかと思います。

政治家が劣化しても、それを取り除き、自主的に政治体制を再構築することが、何か恥ずかしい行為、社会的に望ましくないバランスから外れた行為のように、心理的に刷り込まれてしまっている気がします。

デモに参加すると、「交通妨害だ」「迷惑だ」と堂々と言う人たちがこの国にはハンパなく多いこと。それがどんなに奇異なことに自分たちが気がついていないと思います。

一方でその麻痺し、貧窮化した国民の横で、傍で極端な新しい軍国主義が頭をもたげていることに非常に危機感を持ちます。

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そうですね。でも、かつては田中角栄、金丸信、小沢一郎、橋本龍太郎など、主体的に日本の将来を考える政治家はいました。みな、田中派で、作られたスキャンダルで失脚。中曽根や安倍晋三といった米国ベッタリな与党政治家だけが生き残ったわけです。

日本の場合、親分米国の政治の劣化により、人権尊重とかへの外圧がなくなったことも日本の悲劇。

米国は決して民主主義の見本とは言えない国。政府も警官らは白人至上主義のデモには寛容で、Black Lives Matterや大金融危機のあとのOccupy運動は厳しく取り締まりました。国民は金融機関、医療機関と保険屋、銃と武器産業にせっせと貢ぐ存在。

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