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「言文一致styleのグロテスク」というまさにグロテスクな表現をかつて用いたのは松浦寿輝だったと思う。学生時代、『高野聖』や『春昼・春昼後刻』に人生を変えられた自分は、「現代語訳泉鏡花」なんてものがいつか刊行されたらそれこそグロテスクだな、などと思っていたものだった。言語、そして文化の衰微としてそうした未来を捉えていたのだ。

こうした認識に変化が訪れたのは、あるとき、ジェフリー・アングルスが『泉鏡花〈怪異・幻想〉傑作選 本当にさらさら読める!現代語訳版』(KADOKAWA)という本を自身のSNSで紹介していたからだった。日本の外で泉鏡花は川端や三島の十分の一の読者も獲得していないかもしれない。しかしそこにはもちろん、明治の日本語そして作家独自の表現が現代の日本語と大きく隔たっているという事情がある。このとき、現代語訳が刊行されていれば、国外の研究者や翻訳家にとって大きな助けとなりうる。それは、英語学習者が英米の古典をretold版で読むのにも似てエッセンスには触知しえないかもしれないが、必要とするひとにとっては錯綜のラビリンスにおいて眺望を得るための貴重な梯子として現れる可能性がある。もっと言えば、単純にオプションのひとつとして、こういうものがあってもいいのではないか。

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