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でもすぐに気づくのはそもそもこの小説の副題にはfableという語がきちんと含まれているということで、この小説をもってパキスタンの文化や民族性について理解しようとするのは、たとえば日本の外の読者が芥川龍之介の説話的作品を読んだだけで日本の現代文化についてなにか判断するのと同じくらい安易なことなはずだ。その国について知りたい、という感情そのものはまったく健全なことだと思うけど、ステレオタイプな像を持つことのあやうさについては少しは自覚的でありたい。

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