『HOW TO HAVE SEX』を観た。

 終始、言葉で表現しにくい苦しい感情の渦に胸が痛んだ。
リアルな表情の変化、主人公たちの芝居が見事。
 早く経験せねばならない、そうでないと「大人になれない」「ダサい」、性的な魅力をより多くふりまける者が勝ち、というプレッシャーに焦る女の子たち。主人公タラは、そのプレッシャーをすっかり内面化しているようでいて、しかし実は違う。その本心に自分で気づけておらず、友達に煽られれば流される。

 ゴミだらけの通りを呆然と歩きながら「私がずっと求めていたのは、これだったんだろうか」「これは、望みが叶ったというのだろうか」と自問し続ける姿。翌晩、一人で固い表情のまま音楽にのって踊ろうとする姿も、ノリきれない心を必死で振り払って「楽しまねばならない」「何も問題はない」と思いたがっていることがまざまざと伝わってくる。断らなかった、という厳然たる事実は、性的同意について知識も教育もない女の子には、あまりにも重い。彼女は「断らなかった」と「断れなかった」との区別がつかないからだ。
 




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(続き)
 終盤、どうしても分かってもらいたい友人に対して、心を振り絞るように「だって私、寝てたし」とつぶやき、友人は「それって…」と驚愕し「気づけなかった」と謝る。そのやりとりによって、言葉は持っていないけれども、あれは正しくない、あれは私が望んだものではない、と確信したのだと思う。私がついてるから、という友人の手を握って笑顔が戻る姿に、女性にとって何よりもシスターフッドが希望だというメッセージが込められている気がして、泣いた。

 男性の描き方もリアルだった。直接の加害者のアイツはもとより、タラの様子の変化に気づいて心配そうに寄りそう男も、気遣う様子はすごーく優しそうではあるものの、タラに対し「ひどい男だろ」と共感するだけ。「あいつとは幼なじみなんだ」という語りは、むしろ、「幼なじみだから、あいつを非難することはできないんだ」という弁明に聞こえる。おおよそを察しながらも、男を敵にまわすことはできない、ホモソーシャルに浸りきって抜け出ることができない小ささが、めちゃくちゃうなづける男性描写だった。
 性的同意とはなんぞや、という教材に最適な映画。みんな観てほしい。




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