『エストニアの聖なるカンフーマスター』の感想を書こうと思ってたんだった、すごいわからなさがあってそのわからなさを噛み締めよう、と思いながら公園に行って肉まんじゅう食べながらポストしようと思ったらFedibirdが重くて開かなくて、肉まんじゅうと一緒に風景見ながらわからなさを飲み込んでいた……。そういう感じなんで、「わからなさを楽しみたい」という人にめちゃくちゃお勧めしたい、わかることはハッピーエンドだったということだけ……よく考えたら「修道院カンフー」という概念からもうわからないのだった
ヒロインと出会うディスコの場面の可笑しさとかここからミュージカル始まるのかと思ったらそうでもないし、メタル要素もカンフー要素もそこに期待していったら多分肩透かしを食うと思う、当時は禁じられたエンタメ文化に熱狂する主人公があまりにも軽々と宗教の戒律も法律もぶっちぎっていくので唖然とするし、なのに奇蹟はしっかり起きるし、途中宗教によって悪魔化される女性像が描かれるのか?と不安になるとそんなことないよー!!みたいな話のぶん投げ方するし、とにかく予想がつかない……わかるのは修道院の長老役の俳優さんの身のこなしが素晴らしいことと師匠にしてライバルの修道士がめちゃくちゃ可哀そうなだけ……。
ただなんか荒々しくも感じられる人間の生そのものに神性を見出すような、哀しみも喜びも、善悪さえも超越したところに生命の輝きがあってそれを称揚しているみたいなそういう美しさがあるので……いや本当か……ちょっともう一度見に行こうか……どうしよう、という感じです。映像が美しく品があってとにかく音楽もよい。『リザとキツネと恋する死者たち』とか『たちあがる女』とか好きな人におすすめしたいんですが、いや違うかもしれない、とにかく『ノベンバー』を見直します
ソ連占領下のエストニアで国境警備の任務に就いていた主人公がラジカセでブラックサバスを鳴らしながらカンフーを使う三人組の強盗に襲われてボコられるもヌンチャクを託され、自動車整備の仕事に就くもディスコで出会った女性に失恋して失意のまま車を走らせていたら修道院の前でエンスト、高い塀の上から睥睨する修道士たちの姿にインスピレーションを感じて中を覗くとそこには鍛錬に勤しむ修道士たちが居り、主人公は修道士となりカンフーを学ぶことを決意するのだった……という話ですが修行場面はあるけれど主人公が傲慢なままどんどん強くなってしまって伏線も放りっぱなしでライバルが可哀そうで強大な敵もいないまま、己との闘い的なカタルシスもないんですけど音楽も映像も素晴らしくて訳が分からなくて見終わったら幸せな気分になってて本当にめちゃくちゃいいです。