ポルフィーリー『罪と罰』
本作でラスコーリニコフと対決する予審判事ポルフィーリーは、心理的にラスコーリニコフを追い詰めるさまといい、つかみどころのない言動といいまるで古畑任三郎のような人間である。
だが、ラスコーリニコフに対し自首を勧めるポルフィーリーが自身のことを「終わった人間」というシーンは偽らざる心境であろう。
ポルフィーリーは35歳、19世紀のロシアだとすでに人生の折り返しではないだろうか(正確な統計は分かりませんが……)。
そうでなくても、23歳のラスコーリニコフに比べると35歳のポルフィーリーは歳を取っている。人生で何を成し遂げられるのか、あるいは成し遂げられないか考える年頃だろう。
30歳を過ぎた身には、ポルフィーリーの人生はまだこれからと言いたくなる反面、若者と比べると終わった人間だと自嘲したくなる気持ちもよく分かる。
10代、20代で『罪と罰』を読んでいたらこのような心境にはならなかっただろう。果たして、今後の人生で何が出来るのか。後悔のないよう生きていきたいものである。