内柴正人に対する批判的反応はまさに「要請なき代理」の振る舞いといえるでしょう

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一度罪を犯した者は絶対に社会的復帰を許さないという他罰意識をハーパシー、すなわち女性を絶対的被害者の地位に置くミソジニーによって正当化する。ミソジニストどもは内柴への筋違いな批判に対する指摘をすべてミソジニーないしヒムパシーとして説明するだろうが、これは両者の原義からして当てはまらない。今回の内柴のツイートはそもそもオリンピック観戦の感想であって自身の過去に関する事項はまったく関わりがない。ヒムパシーはレイプ犯に対する過剰なまでの同情を指すが、今回の攻撃は彼の過去を執拗に掘り返すという意味でむしろ過剰なのは筋違いな批判の方であり、そもそも、内柴は2017年に5年の刑期を終えている。

ミソジニストどもの目的は囲い込みである。そのために犯罪者に対する社会的嫌悪感情を動員し、フェミニズムに由来するもっともらしい理屈を並べ立てているだけである。わたしは「これはフェミニズムではない」と言うつもりはまったくないが、少なくとも、フェミニズムに由来する概念を動員することがあらゆる主張を正当化する根拠になるわけではない、とだけは言わなければならない。

最初の話題に戻ると、内柴に対する攻撃は性暴力被害者の心情を置き去りにしているという点で「要請」がない。性暴力被害者の存在はミソジニストどもが勝手に代理を務めるための飾りなのだ。まったく、この構造を理解できる人間は果たしてどれくらいいるんでしょうかね。

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