カーニバルの話はここからつながっていたようだ
>「ヘーゲルはここで、ラカンが「表明された内容と表明の根底にあるスタンスとの間のギャップ」と呼んだものを動員しただろう。つまり、多様性と包摂を主張するが、それはあなた自身の多様性と包摂の定義に完全に同意しない人々をすべて排除することによって行われるため、人々とスタンスを永久に排除することになる。このように、包摂と多様性を求める闘いは、シュタージのような疑惑と非難の雰囲気を生み出し、あなたの個人的な発言がいつ公共の場から排除されることになるか決して分からない。これは、最後の人食い人種を食べるというジョークの極端なバージョンではないだろうか。」(機械翻訳)
https://english.hani.co.kr/arti/english_edition/english_editorials/1149192.html
原文を参照することで木下ちがやが滑稽だったことがさらに強調されるわけだが、日本語訳を読んでそうだそうだと言っていた人たちもまた似たようなものだったことがはっきりした