何故この話を改めてしようと思ったのかと言うと理由が二つあって、一つは自分が最近そういう目に遭ったから、もう一つは司法が頑なに差別を差別と認めない判決が最近も出ていることを知ったから。
まず一つ目だけど、自分が前の職場で差別的なパワハラやモラハラに遭っていた時に、同情したり問題解決に動いてくれたくれた人はいても、その理不尽な態度を一緒に怒ったり抗議してくれた人がネット以外誰もいなかったから。もちろん(自分の上司との)関係悪化が嫌だからというのが最大の要因だろうけど、理不尽に対して怒ってくれる人がいないことが、ここまで当事者を心細く絶望的な気持ちに追いやるのかと。
そして二つ目が、岩波の『世界』8月号(安倍安倍晋三の銃撃から一年というタイミングで政権の罪を取り上げたせいかTwitterでアカウントが凍結されて話題になったやつ)を読んでいたら、ウトロ地区への放火という明らかなヘイトクライムを「特定民族への偏見と嫌悪」と表現するなど「差別」という表現すら盛り込まれなかったという。入管法改悪などみそうだが、この国にしてこの司法ありというか...。とにかく差別を差別と認めず「偏見」「嫌悪」で濁すという最悪なムーブ。日本に◯◯差別は存在しないという主張は、司法や政府のこういった姿勢密接に結び付いている。