吉村武彦「《古代人の一生》を考える」1-22頁

「古代では『賎』は半人・半物の扱いなので、『賎民(人)』とは呼ばれない。『賎』として処遇される」2頁

「民衆の間では、恋愛は選択する余地があった。恋愛が順調に発展すれば、結婚にいたる」3頁

「律令法では、男子が15歳、女子が13歳になれば結婚できる」4頁

「7世紀後半になると、中国の永徽律令を手本として、律令法を継受する。こうした一連の過程を通じて、中国的な家父長制の思想を受け入れたと思われる。日本における性差に基づく区別・差別は、この家父長制の影響が強い。

[脚注]日本の家父長制は、中国との比較で考察する方法が有効性をもつと思われる」9頁

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「中国の家父長制については、仁井田隆(のぼる)の研究がある。…家長は、家が所属する氏族(宗族)の『族長権力』の制約を受けるという。…
 中国においては、狭義の家は『家系をともにする生活共同体』を指すとされ、『同居共財』を旨とするという…ところが、堀敏一は…家長には家財管理の権限があるだけだという」9-10頁

「律令法が導入されても、そのなかに皇位継承法は含まれていない。天皇は律令法を超越した存在であり、律令法には束縛されないからである」13頁

吉村武彦「男と女、人の一生」23-89頁

「『をとめ』と『をとこ』に共通する『をと』は、『若い生命力が活動すること』とされ、『結婚期に達している若い男性』が『をとこ』、『結婚期にある女性』が『をとめ』だという。…
 …胸の幅(胸別)が広く、(蜂のジガバチ(すがる)のように)腰がくびれた女性が美しいとされていた」25頁

「『女性は結婚前には父に従い、結婚しては夫に従い、夫亡き後は子に従う』という『三従』思想は、明らかに女性差別である。なお、中国の漢訳仏典にも、儒教経典の『儀礼(ぎらい)』にもみられる差別思想である。ちなみに仏教では、インドのマヌ法典から影響を受けたとされている」28-9頁

「『陰』『陽』の中国思想を継受した頃から、男性優位の立場になっていたと思われる」33頁

「『書紀』のような結論は、男性優位を主張しており、中国的・儒教的な思想に基づいている。津田[左右吉]は、『皇統が男性によって継承せられてゐる事実に本づいた構想』と考えたが…男性中心の皇位継承論に基づいたものというのが正確である」35頁

「『書紀』の男女誕生譚における男性優位は、現行の『古事記』にはあてはまらない。『古事記』では『書紀』の中国的・儒教的な展開を是正し、元のかたちに戻したとも推測できる。…書名に『日本』という国号を冠した『日本書紀』は、中国を意識して編纂された歴史書である。中国にならい、男女の性差を意識して編纂されたと考えることが妥当であろうか。

[脚注]両者は明確に異なっており、むしろ『古事記』と『書紀』の神話の相違と、その理由の解明こそが、求められる研究課題である」36頁

「[脚注]『男キョウダイ』が『兄』、『女キョウダイ』が『妹』と呼ばれた時代があったようだ」37頁

「『ことわり、義』の特徴は、『三綱』にあるように、親族関係では夫婦ないし妻子よりも、父母・父子関係が上位にあることである」40頁

「[脚注]『子』の字については、一部に男子名という誤解もあるが、男女ともに使われている」43頁

「課役の対象者が男性であっても、その納税品の生産者が男性とは限らない。とりわけ調の布生産では女性による生産の実状が明らかにされており…納税者と生産者が異なっている。このように、生産するのが女性であるにもかかわらず、調庸などの課役は男性を対象としている」44頁

「8世紀前半では女性戸主はごく少数で、例外的存在である」47頁

「妻(家室)には独自の財産があったが、家の財産とされるものは、家長の許可なく処分することはできなかったのである。つまり家長が、家の財産処分権を保持していたと考えられる」49頁

「実際の結婚年齢は20歳代以降が多い。また、結婚する際に女性が男性より年上の場合が1割強存在する」50頁

「当時の結婚に際しては、両親の了承が必要であった。とりわけ女性の親の承認は重要である。なかでも母親が果たす役割は大きかった。親の承認をもって、恋愛から結婚へと進んだとする説もある」52-3頁

「婚姻儀礼については、結納金のようなやりとりはなく、形見のやりとりが行なわれた。作法は、男女で対等と見なすことができるだろう」56頁

「農作業においても、作業の種類によって男女の役割が異なっていた。
 …土器の製作では、縄文・弥生土器と土師器は女性、須恵器は男性によって作られたといわれる」57頁

「副将[河辺臣瓊缶(かわべのおみにえ)]が自分の命を惜しむあまり、妻の甘美媛(うましひめ)を新羅の闘将に売り渡したので、『(新羅の闘将)遂に(副将を)許して(妻を)妾とす。闘将遂に露なる地にして、其の婦女を姧す。婦女後に還る』ことになった。夫に失望した妻は、離縁の道を選ぶ。妻が新羅側の性的被害を受けたことはまちがいなく、戦争と性が関わっていた早い事例である」68頁

「神社の運営に関しては、男女ともに参画しているのが特徴である。
 …両者の地位には本来、優劣・上下の関係はなかったという…つまり性別による役割分担として祭祀が執り行なわれていた。ただし、律令制によって男性の官人社会になると、神祇官などでは男性と女性の区別が行なわれるようになったのである」80頁

「土師器と異なる陶器については、『陶器作内人』として男が担当している。土師器と陶器作りの性別分担においては、土師器が女性で須恵器が男という土器作りの性別分担と同じである」81頁

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