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「家族制度は、子供たちの父に対する関係と兄弟間の関係をコード化したものである。宗教的形而上学は、人間の神に対する慣例と人間相互の関係についての言及である。しかし権威もしくは自由という価値、平等もしくは不平等という価値は、概念的には大きな困難を伴わずに、家族に対する次元から形而上学的次元へと乗り移ることができる。父の権威主義(もしくは自由主義)は、神のそれとなり、兄弟間の不平等(もしくは平等)は人間関係のそれとなる。…『全能の神と、救済に関して不平等な人間たちという観念に他ならないプロテスタントの救霊予定説が容易に受け入れられたのは、権威的父親と不平等な兄弟を含む家族組織が以前から存在していたところ、つまり直系家族の諸地方においてである』という仮説…これと対照的に、形而上学的機会平等と自由意志の対抗宗教改革の教義は、自由主義的な父親と平等な兄弟を含む家族組織が前から存在していたところ、つまり平等主義核家族地帯において、擁護されたわけである」141頁

「ここには神の似姿としての父親という精神分析の古典的テーマが姿を現わしているが、ただし相対化された形で現われている。というのもフロイトは、家族の型は単一であると思い込んでいたので、家族にはいくつかの型があり得るなどとは考えもしなかったのである。家族型が多様なら、父親像も多様であり、その結果、神の姿も多様になるわけである。もっとも、神と父親の同一視は、フロイトの主要な発見とは考えられないというのが妥当なところだろう」141頁

「アルミニウス説は自由意志を再建するのだから、神の権威を弱めることになる。宗教的形而上学と家族構造の連合の仮説からすればまことに論理的にも、それは父親の権威が緩和されている絶対核家族の地域に出現した。父親の自由主義が神の自由主義をもたらすわけである。
 ネーデルラントでは、絶対核家族は全土の55%しか占めていない。しかし、イングランドでは、絶対核家族が人類学的基底の70%を構成している」147頁

「1 <直系家族>+聖職者権力への<異議申し立てに有利な地上的条件>(高度の識字化および/あるいはローマからの距離大)→正統プロテスタンティズム。北部ドイツ、北部スイス、南フランス、スウェーデンの場合。
2 <絶対核家族>+聖職者権力への<異議申し立てに有利な地上的条件>→アルミニウス派の色合の濃いプロテスタンティズム。ホラント、およびとりわけイングランドの場合。
3 <直系家族>+聖職者への<異議申し立てに不利な地上的条件>(低度の識字化および/あるいはローマからの距離小)→カトリシズムの維持。アイルランド、ラインラント、イベリア半島北部沿岸地方、フランス中央山塊およびアルプスの高地の典型的不動性。
4 <平等主義核家族>+聖職者権力への<異議申し立てに有利な地上的条件>→カトリシズムの維持。北部イタリアおよびパリ盆地に最も典型的に見られる安定性。
5 <平等主義核家族>+聖職者権力への<異議申し立てに不利な地上的条件>→カトリックの支配の維持。中部ならびに南部スペイン、南部イタリアに見られる形」155-6頁

「宗教体系を地上的と形而上学的の2つの成分に分ける分析、これが、ヨーロッパが真二つに割れたことと、プロテスタンティズムとカトリシズムに複数の変種が姿を現わしたことの2つを、同時に把握し説明することを可能にする。
 このうち地上的成分の作用で起こった分断は単純であって、ヨーロッパを南と北の2つにくっきりと分ける。北部では、新教世界が、聖職者に特別の役割を認めることを拒否し、教会に対する人間の自由と平等を要求する。南部では、カトリック世界が、俗人に対する聖職者の役割、人間の教会に対する服従を強化するわけである。
 形而上学的成分がもたらす分割の方は、これほど単純ではない。理論的には、4つの主たる家族型のそれぞれに、特有の形而上学的成分が対応してもおかしくないのである。このように、考えられる形而上学的成分が多様に存在するという事実によって、プロテスタント世界とカトリック世界のそれぞれの内部分裂がもたらされる。家族構成の分布図は複雑であり、しばしば一国がそれによっていくつもの地域に分割されてしまうわけだが、そのような分布図によって、プロテスタントとカトリックの形而上学的分裂は、地理的レベルへと移し替えられるのである」158-9頁

「1680年から1690年までの間に生まれた世代の識字率は、どうやらすでに80%に達していると見られる。すべてに18世紀半ばには、スウェーデンにおいて大衆識字化の過程は完了しているのである。しかしこのような近代性の実現状況をもたらした社会構造そのものが、驚嘆に値する。というのも、スウェーデンでは識字化は無秩序でありながら同時に抗いがたいものであったらしいのである。それは数世代の間に完成したが、その間、学校制度が整備されるということはなかった。つまり、教会が識字化を推奨すると、たちまち村やとりわけ家族が、インフォーマルな形で識字化に取りかかったわけである」177頁

「スウェーデンで支配的な直系家族は文化的に効率が良く、イングランドに典型的な絶対核家族は不確定性を示す…
…<長期的に見た場合の成長の差を生み出すのは、とりわけイングランドにおいては後退局面が存在するのに、スウェーデンにはそれが存在しないという点である>。これを家族構造の側から言い換えるなら、絶対核家族は文化的後退を許容するのに対して、直系家族はそれを禁じる、という風に考えることもできよう。…直系家族においては、家系を伝えなければならないという強迫観念の故に、あらゆる進歩は決定的獲得物となる。識字化が一つの家族の中にひとたび導入されると、それは家族の中に残ることになる。…家族構造の連続性が識字化運動の連続性の底に横たわっている。
 絶対核家族では不連続性が原則である。家族の歴史は直線的ではなく、獲得物の残存は主要な目標ではない。…イングランドの歴史全般の特徴たる不連続性への傾向…この傾向は核家族的家族構造によってもたらされたものであって、この家族構造は、世代継承の観点から言えば不連続的家族構造と呼ぶこともできよう」179-80頁

「すでに16世紀には神の性格にいくつかの形があったことが、宗教改革と対抗宗教改革とによって明らかに示されている。そうした神の性格は、各地方の人類学的基底に適応したものだった。まず<自由主義的な神>があり、カトリック圏のうち最大の部分において支配的であるが、これは平等主義核家族の自由主義的な父親の忠実な反映である。これとは別にもう一つの自由主義的な神があり、それは、絶対核家族が支配的な人類学的類型を成しているアルミニウス説的傾向の新教諸国で優勢を占める。プロテスタント圏のその他の地方では、権威主義的な神が断固として立ちはだかっている。これは直系家族地域の権威主義的な父親の形而上学的転移に他ならない。同様に、カトリックに留まった直系家族地域(調和的カトリシズム)にも、権威主義的な神のイメージが存在すると仮定することができる。
 ところで権威主義的な神のイメージは、もちろん自由主義的なイメージよりもはるかに強力である。そこで科学革命と産業革命は強固な神と脆い神とに同時に攻撃を加えることになる。ヨーロッパにおいて父親の権威に2種類の水準が存在するということは、神のイメージの抵抗力にも2種類の水準があるということを意味する。直系家族地域の神は、核家族地域の神より打ち壊しにくいであろう」205頁

「父子関係は、ポジティヴに神の権威の度合いを決定し、兄弟間の関係は、ネガティヴな形で神の権威への異議申し立ての程度を決定するわけである。この2つの効果が組み合わされば、本書で用いられる4つの家族型のそれぞれに対応する神のイメージの強度は、先験的に決まってしまうのである。
 <直系家族>は最大の強度を作り出す。父親の権威が神の権威を支え、兄弟間の関係に現われた平等原理への無関心は、神の超越性への異議の不在を帰結する。
 <共同体家族>は一つの矛盾と一つの不安定な均衡を孕んでいる。家族組織の縦の線は強い神のイメージをもたらすが、兄弟間の関係の平等主義は神の超越性の拒否に有利に働く。
 <絶対核家族>はもう一つの型の中間的状況を生み出すが、何らかの矛盾に対応するわけではない。家族組織が含む自由主義は脆い神を帰結するが、平等原理への無関心のおかげで、この脆い神は異議を申し立てられることが少ないのである。
 <平等主義核家族>は宗教にとって絶対的脅威である。父親の自由主義から生まれた脆い神は兄弟関係の平等主義によって侵蝕されてしまう」206頁

「大規模工業と違って、大規模農業経営は近代性の産物ではない。人類学的基底を構成する一要素である。したがってこれは、伝統的なキリスト教がそもそも当初より弱体であるような地域を作り出す要因となる。分益小作制、小作制、自作農は、その程度に差はあれ、いずれにせよ経済的独立の状況に対応する。これらの農地制度のどれ一つとして——分益小作制でさえも——大規模農業経営特有の依存度に近付くものはない。どれもが、家族を生産単位と考え、父親を経営主と考える。どれをとっても、神と来世への信仰に対して、大規模経営のような大量の有害な効果を及ぼすものはない」208-9頁

「自由主義的で平等主義的な家族が、神=父の弱くしかも異議を唱えられたイメージを生み出し、農業賃金制が、父親の物質的権力を脆弱化させる一方で、個人の運命への感情を軽減してしまう…ヨーロッパの中で、<平等主義核家族>と<大規模農場経営>とが組み合わさっている地域が、最初の脱キリスト教化の基本的な極となるわけである」209頁

「脱キリスト教の4つの主要な中心——パリ盆地、プロヴァンス、イベリア半島南部、南イタリア——はいずれも、人類学的には平等主義核家族と大規模農業経営を組み合わせている…全体としては、人類学的基底(平等主義核家族+大規模経営)と脱キリスト教化の一致は明瞭に現われている。
 …家族制度も農地制度も脱キリスト教化の過程にとって等しく必要である」215頁

「科学と産業の時代の真っ只中にあって宗教の生き残りを可能にしたのは、家族内の権威主義と聖職者の優位性との組み合わせなのである。この組み合わせは、<調和的カトリシズム>に特有のものと言うことができる。プロテスタンティズムは、聖職者の重要性を否定するがゆえに、もっぱら家族に依拠していた。そのため危機が到来するや、いかなる組織的な基盤も失われてしまうのである。それに対して、カトリック教会とは序列と規律を持った機関であって、その機構は宗教的順応主義を支え分解を遅らせる自律的な役割を演ずることができるのである」239頁

「識字化+脱キリスト教化=避妊
 識字化は受胎調節の発展の第一条件だが、それだけが総てではない。宗教的信仰の崩壊もほとんど同じくらい重要な要因と思われる。この2つの説明要素が然るべく配置されれば、ヨーロッパの人口統計学的歴史は理解可能なものとなる」242-3頁

「近代政治も伝統宗教と同様、人類学的決定因を逃れることはできない。かつては家族的諸価値が、各地で大いなる宗教的形而上学の構造を決定していた。永遠の来世における人間と神の関係が、自由主義的なものになるか権威主義的なものになるか、人間同士の関係が、平等主義的なものになるか不平等主義的なものになるかが、それで決まっていた。その基本的な素材を、大いなる政治的形而上学、すなわちイデオロギーが手にとって、今度はこの地上に理想の都を建設しようとする。市民の国家——これが永遠者の代わりである——に対する関係は、自由主義的なものか権威主義的なものとなるだろう。市民同士の関係は、平等主義的なものか不平等主義的なものとなるだろう」249頁

「要するにその土地その土地の人類学的システムは、かつて宗教的形而上学の構造を決定したが、その後は政治的形而上学の構造を決定するのである。家族構造は安定しており、時の流れの中で変わることがないから、その結果、ある一つの土地において宗教に刻み込まれていた基本的諸価値と、その後イデオロギーに刻み込まれる基本的諸価値とは、同一であるということになる。自由主義的にして平等主義的な家族制度は、16世紀に自由主義的にして平等主義的な宗教的形而上学を産出し、次いで18世紀から20世紀にかけて、自由主義的にして平等主義的なイデオロギー的形而上学を産出するだろう。権威主義的にして不平等主義的な家族制度は、16世紀に権威主義的にして不平等主義的な宗教的形而上学を産出し、20世紀に権威主義的にして不平等主義的なイデオロギー的形而上学を産出することになる。家族的決定因の存在を知らずに、宗教の死とイデオロギーの誕生、そして宗教とイデオロギーの間に存在する構造の類似性に気付く観察者はだれでも、諸価値が宗教的な次元から政治的次元へと直接移動したという印象を持つだろう。そして、宗教的要素が政治的要素の形を決める、権威主義的な神が強い国家を産出し、自由主義的な神が議会主義を促進するのであると、考えてしまうだろう」250頁→

(承前)「しかしそこに観察された移動は実は錯覚であって、それは家族制度という根本的決定因子の恒常性のなせるわざに他ならない」250頁

「4つのイデオロギー・システム
 基本的要素を組み合わせることによって、4つの基本的イデオロギー・システムが存在することが明らかになる。それはヨーロッパを支配している4つの家族型に対応し、自由と権威、平等と不平等という2対の価値対立によってその内容が決定される。家族と同様、イデオロギーも以下のようなものであるだろう。
 1 自由主義的にして平等主義的。平等主義的核家族地域で有力。
 2 権威主機的にして不平等主義的。直系家族地域で有力。
 3 権威主義的にして平等主義的。共同体家族地域で有力。
 4 自由主義的にして不平等主義的。絶対核家族地域で有力。
 4つの家族制度のそれぞれに1つのイデオロギー・システムが対応し、しかもただ1つしか対応しない。各国の政治的伝統を全体として長期的に眺めてみるなら、家族とイデオロギーの間の関係は単純であるという仮説が即座に検証される」251頁

「4つの民族主義、4つの社会主義
 民族にせよ労働者階級にせよ、理想の社会の外側の境界を規定するものであって、その内的構造を規定するものではない。それはその場所その場所の家族制度の諸価値によって決定される。…民族主義と社会主義は各国ないし各地方の中で互いに対立し合うが、同時に共通の諸価値を分かちあう。民族イデオロギーと社会主義イデオロギーの対立・抗争によって、これまでの政治的伝統が乗り越えられることは決してない。…
…各々のイデオロギー・システムとは、2つの社会的形而上学の組み合わせと考えることができる。その形而上学の一方は民族を理想の社会と見なし、もう一方は労働者階級を理想の社会と見なしており、互いに敵対しつつ、互いに補完し合ってもいる。そこで次のように記すことができる。
 イデオロギー・システム=民族イデオロギー+社会主義イデオロギー」255頁

「各々のイデオロギー・システムは3つの勢力に分解することができる。
 ●社会主義イデオロギー。階級という概念に立脚。
 ●民族イデオロギー。民族という概念に立脚。
 ●反動的宗教イデオロギー。それが最終的に準拠するのは神の国である」257頁

「<神学上の平等主義的自由主義>から<イデオロギー上の平等主義的自由主義>へと教義の内容が連続しているのは、純然たる観念が、類縁性はあるがはっきり異なる別の観念を生み出すという、ヘーゲル的な観念の運動の結果ではない。このように同じ形態が反復されるのは、意識的思考の領域の外側にある要因のせいなのである。潜在的な安定的構造が、2世紀の間隔をおいて、同じ平等主義的自由主義の異なるヴァージョンを生み出したのである。1588年から1789年までの間、パリ盆地の家族構造は変わらない。この2つの時点において、親子関係の自由主義と兄弟関係の平等主義核家族という家族型は不変である」263-4頁

「18世紀の哲学者〔啓蒙思想家〕たちは、家族構造と政治的概念の間につながりがあることを完全に承知していた。実を言えば、それは少なくともアリストテレスにまで遡る文化的常識だった。そしてそれは、1680年から1690年にかけてフィルマー対ロックの論争によって再びアクチュアルなトピックとなったのである。しかし革命以前の思想家たちは、ヨーロッパの家族構造の多様性と頑固さが思いもよらなかったので、先験的に平等主義核家族に依拠して、政治的モデルを構築したのである。平等主義核家族はまことに普遍的に見えたので、その種を特定する呼称など必要なかったのである」264-5頁

「プロテスタントのアルミニウス説が革命のイデオロギーと異なる点は、人間に神性を付与する過程が選別的で限定的であるという点である。イングランドの方では、神性を付与されるのは選ばれし者のみであるが、フランス側では、すべての人間が、より正確に言うなら普遍的人間が神性を付与される。いずれの場合も、神の超越的権威は姿を消して、神のイメージは無数の砕片となって人間の中に吸い込まれる。しかしフランスでは創造主の亡骸は万人に分かち与えられるのに対して、イングランドでは一部の人間だけがそれを手にするわけである。…
 こうしたフランスとイングランドの形而上学の類似点と相違点の下に、北フランスとイングランドのそれぞれに支配的な家族制度の無意識の作用を感じるなと言っても、それは無理であろう。平等主義核家族と絶対核家族には、類似点もあれば相違点もある。双方の場合とも、親子関係が自由主義的であることが、神の権威が弱まってついに粉々に細分化するに至った原因となっている。しかしフランスでは兄弟が平等であるため、それが神の属性が平等に分配されるということの中に反映しているのに対して、イングランドでは絶対核家族特有の平等原理への無関心のために、天の光がすべての人間にまで広がることはないのである」267頁

「平等主義核家族は権威それ自体への憎悪を育むのであって、権威の型の如何を問わない。その諸価値を極端な論理的帰結にまで推し進めるなら、自由主義国家への選好などを通り越して、国家の否定にまで行き着いてしまう。…19世紀フランスの政治的不安定性は、革命的な国の中央部と反革命的な周縁部との対立の結果ではない。それは自由主義的・平等主義的な中央部が自分自身の均衡を見出すことができなかったところに起因するのである。…権威的中央構造物、すなわち国家の正当化を拒否するこの教義が冠する名こそ、アナーキズムに他ならない。要するに平等主義核家族は、アナーキズム型の政治的気質の出現を促すわけである」279頁

「平等主義核家族は個人主義的であり、殊に明快な所有の概念の構築に有利に働くのである。…平等主義核家族地域にはどこでも、個人の所有権を保証するための自由主義的国家を必要とするが、権威のあらゆる具体的顕現を嫌悪するという特有のジレンマがあり、このジレンマには単純な解決は存在しない。実際上は、無政府主義的な解体と軍による再組織化の間を恒常的に揺れ動くというのが、この人類学的システムに支配される大部分の国で観察されることである」279-80頁

「無政府社会主義
…いかに[平等主義核]家族的決定因子の力が強いかが測れる。搾取され支配された階級は平等を要求するが、だからと言ってそれが自由主義的諸価値を放棄することに結びつくことはない。1880年から1914年の労働者にとっては、理想の都における社会的諸条件の平等を実現するという仕事を、何らかの労働者国家に委ねることは問題外なのである」286-7頁

「革命的民族主義→無政府社会主義+自由軍国主義
 要するに、自由軍国主義の地理的分布は、無政府社会主義のそれを再現することになる。当然の一致だ。この2つのイデオロギーは、同じ家族的土壌に由来し、同じ自由・平等の価値のそれぞれ右の解釈と左の解釈に他ならないからである」292頁

「ヘーゲルのモデルの面白い点は、権威と不平等の概念を理想社会の内的な描写に系統的に適用したという点である。『法の哲学』(1821)においては、権威の理想は国家への愛…に、不平等の夢は階級の序列化にまで行き着くのである」II 9頁

「近代都市と直系家族の破壊
…農村から都市への無痛性の移動は、直系家族の特徴ではない。全く逆である。3世代が同じ屋根の下で暮らすことは、農村にあっては経済的に正当な理由があるのだが、都市の中ではあらゆる実際的な意味を失う。権威と世代間の相互依存という価値にどんなに執着していようと、都市では世帯は分裂せざるを得ない。直系家族の地域においても、都市的生活様式では2世代<世帯>が典型的となる。…それは価値の変化に対応するわけではなく、経済的条件への適応の結果なのである。…価値が、都市でもまだ存続しているとしても、3世代世帯の構築という具体的な形を取ることはなくなった…都市部においては、閉ざされた家族の安全性は消え去った…この農村脱出の期間に、世帯の分解は独特な型の不安を作り出す」II 14頁

「人間の不平等と階級意識
 他のすべての人間と平等な普遍的人間というフランス的理想は、兄弟の平等を要求する家族的価値をイデオロギーの次元に移し替えたものである。これに対してドイツ文化の特徴は普遍的人間の拒否であるが、これはドイツ的家族制度の不平等主義的特徴から来ている。兄弟間の不平等が人間の不平等に変換されたわけである」II 21頁

「フランスの反ユダヤ主義の挫折
…プロテスタント・ドイツは脱キリスト教化が進行しつつある直系家族地域であり、要するに反ユダヤ主義イデオロギーの普及には好適な土壌を提供する。それに対してフランスでは、民族システムの中心は平等主義核家族に依拠しており、それは自由と平等の価値を、つまりは普遍的人間の理想を不断に産出し続ける」II 29頁

「直系家族と時間的連続性
 直系家族に由来するイデオロギー・システムの最も著しい特徴は、疑いなく時間的連続性である。このイデオロギー・システムを構成する3大勢力——社会民主主義、自民族中心的民族主義、キリスト教民主主義——は、関連するどの国においても、時間とともに起こる風化、経済的・社会的・外交的・軍事的な環境の変化に対してまさに啞然とするような抵抗力を示すのである。過去の選挙の跡をたどれば、諸政党およびその勢力比の驚くべき連続性が目に付く。…
 この安定性を生み出すのは直系家族なのだ。権威と不平等という価値よりも前に、時間的連続性そのものが直系家族の主たる強迫観念なのである。直系家族は家系というものを作り出す。それはその厳格で必然的な規則によって、時を越えて、個人の死を越えて永続すべき人間集団に他ならない。この時間的連続性への偏執は、当然イデオロギーの分野にも姿を見せる。過去への忠誠というものこそ、ひとたび形成されたイデオロギー・システムを結晶化させ、固定させる主たる価値なのだ」II 117-8頁

「西ヨーロッパには、共同体家族が実際に支配的であるような民族はひとつもない。イタリア中部、フランスの中央山塊北西周縁部の数県と、ポルトガル南部——母系制という形に変質してはいるが——といった地方で多数を占めるだけである。…
 西ヨーロッパの共同体家族は数の上では非常に少ないものの、政治学者には理論面で強い満足感を与えることができる。この地域の大部分——フランコ体制とサラザール体制の崩壊以後はその全部——で自由選挙が行なわれるようになったおかげで、共同体家族と共産主義の間には緊密な関係が存在するということを、細密な地理的レベルで検証することができるのである」II 121頁

「共産主義とプロレタリアート独裁…
 ●自由/権威という対立は、労働者の権力が存在するか否かを決定する。権威的家族制度の下では、労働者階級は社会構造の中で<指導的>役割を果さねばならないとされる。自由主義的家族制度の下においては、労働者階級は単に<解放された>とみなされるだけで、他の階級の上に権威を揮うべきものとは考えられない。
 ●平等/不平等の対立は、階級間の関係が対等か差別的かを決定する。平等主義的家族制度の下では、プロレタリアは他の人間と同類の人間として立ち現われる。不平等主義的家族制度の下では、プロレタリアはブルジョワや農民とは本質的に異なる特別なカテゴリーをなす」II 127頁

「この2つの対——自由/権威と平等/不平等——の組み合わせから、夢に見た理想の社会構造の中で労働者階級がとる4つの可能な地位が出て来る。
 <自由と平等>(平等主義核家族)——無政府社会主義にとっての労働者とは、他の人々——すなわちブルジョワ——と対等の人間であり、自由だが支配的ではない。
 <権威と不平等>(直系家族)——社会民主主義は、支配的だが、差異化原理の名のもとに他の階級の存在を容認する労働者階級、要するに支配的身分を欲する。
 <権威と平等>(共同体家族)——共産主義は、万人に対して平等でありながら支配的な労働者を要求する。この組み合わせには矛盾の兆しのようなものが感じられる。他と異なって上に立つことなしに、どうやって支配することができるだろうか。理にかなった唯一の解決法は、すべての社会的存在を労働者に、プロレタリアに変えることである。…
 社会構造の中で労働者がとる可能な4つ目の地位は、第4の家族形態、すなわち絶対核家族の存在から派生する。…この自由主義的でありながら平等主義的ではない家族制度から由来する社会主義が好む労働者とは、解放されているけれども、他の人間とは異なる人間、強い階級意識を持つが、社会の支配を願うことのない人間である」II 127-8頁
チャタレイの愛人メラーズみたいな😅

「イタリア全域では、共産主義と分益小作制の間の相関係数は+0.64である。
 したがって、分益小作制は共同体的家族構造地域の中で脱キリスト教化された地域を左傾化させるわけである。この農地形態がこの地域ではとりわけ厳しい搾取機構に対応し、分益小作人の共同体家族は、大抵は都市の人間である地主のなすがままなのだから、左傾化も当然の現象なのである」II 133頁

「●分益小作制はしばしば共同体家族の地域で優勢である。
 ●分益小作制は脱キリスト教化を促進する。分益小作制は農民からその経営の所有権をとりあげ、その個人的運命の統御の権利をとりあげるからである。
 ●共同体家族組織の平等主義的特徴も、また脱キリスト教化の条件となる。それが神の超越の観念の拒否につながるからである」II 134-5頁

「共同体主義——家族のレベルと政治のレベルにおける——が持つ平等主義的要素のために、[イタリアの]ファシズムは不安定で困難なものとなる。ヒエラルキーの理想についての首尾一貫した概念が発達するのが、それで妨げられてしまうからである。直系家族の方は、数学的意味において完全に<順序づけられた>社会的宇宙像の形成を促す。極端に一般化するなら、父親の権威と兄弟の不平等は、単一のヒエラルキー原理の2つの適用とみなすことができる。直系家族はそのヒエラルキー原理の人類学的レベルにおける完璧な具現なのである。…ヒエラルキーの2つの側面——息子に対する父親の、弟に対する——の組み合わせが、完全に順序づけられたシステムを創り出す。任意に取り上げられた2人の個人は、常に互いに上下関係にしたがって位置づけられる。そうなれば、個人の集まりの中に序列関係が存在することになる…だから社会全体に及ぶヒエラルキーを設定することはできないのである。平等主義原理は、明瞭に縦型に階層化された権威システムの発展を妨げ、エリートないし指導者崇拝を脆弱化するのである」II 142-3頁

フォロー

「私は日本において仏教がとった形式に非常に関心をもっています。とりわけ阿弥陀思想の普及と、それから一時、仏教の中心的傾向になった真宗の発展です。それは仏教の構造の中で、その救済の問題、それから一神教の問題に関わってきます。そして真宗は、この救済という点と一神教的な性格という点で、ドイツのマルチン・ルターの考え方、ルター主義と非常に似ていると思うのです。…日本の仏教が厳密な一神教を目指してきたということ、これは〈直系家族〉地域によくある傾向で、〈直系家族〉は父が唯一で全能のものであるという点から、もっとも強力な一神教的概念をもつ家族制度です。阿弥陀も唯一の救世主であって、一神教的な発展をするのは、〈直系家族〉地域にあるからです。そしてもたらされる救済、救いが信者の意志や行動にかかわらず、阿弥陀の恩寵と阿弥陀の行為によってもたらされるという点です。これはまさにマルチン・ルターの恩寵の概念と共通しています」II 430-1頁

「私はアプリオリに家族の構造と宗教との関係が、アジアとヨーロッパにおいてまったく違っているとは考えないわけです。確かに、宗教の概念化では当初の宗教制度がかなり異なっていますが、人々が僧侶を越えて、自分たちが直接に宗教を実践し、参加するというレベルにいたった段階では、人類学的家族組織が現われてきて、そのおかげで驚くべき類似が説明できます。キリスト教と仏教の基本概念から出発して、ルター派と真宗の教理のように似たものに到達するには、共通の要因がなければなりません。
 2番目に、同じ1つの家族構造から派生したイデオロギーの多様性ということなんですけれども、1つの家族制度がただ1つのイデオロギーを産出するということではありません。もしそうだとすれば、歴史というものは存在しなくなってしまうでしょう」II 431頁

石崎解説「ル・プレイは、モロッコからウラルまでのヨーロッパ全域の家族制度を調査し、3つの家族型を提唱したが、トッドは、ル・プレイが『核家族』と呼んだものを、絶対核家族と平等主義核家族の2種類に分割(すばらしい創見である)し、全部で8つの型を提唱している」II 436頁

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