Wiener, Norbert. (1948→1961) Cybernetics: Or Control and Communication in the Animal and the Machine, 2nd edn, The MIT Press.
=1956→1962→2011 池原止戈夫・彌永昌吉・室賀三郎・戸田巌訳『サイバネティックス——動物と機械における制御と通信』岩波文庫

「単純な線型フィードバックの研究は、科学者たちをサイバネティックスに注目させるために重要であったが、フィードバックは最初に思われていたほど簡単なものではなく、線型なものでもないことがわかってきた」7頁

「生物学的には、たぶん生命現象の中心であると見られるものと、[装置の工夫との間に]少なくとも類似なものを見出すことができる。遺伝が行なわれ、細胞が増殖することができるためには、細胞の遺伝物質を担う部分——いわゆる遺伝子(gene)——が、自分に似た別の遺伝型質を担う構造を作り出すことができなければならない。したがって、工学的に構成されたものが、ある手段によって自分と同様の機能をもつ他の構造物を作り出すことができ、その手段がわれわれに知られるということは、たいへん興味のあることである」15頁

「どんな種類にしても、ある種類の分子を考えるとき、すでに存在しているものと同じ姿に、他の分子が作り出されるということは、工学で ‘鋳型’ を用いるのによく似ている、とはよくいわれていることである。工学では、機械の機能を決定する単位を型(pattern)として、他の同種の単位を作り出す。鋳型のたとえは、静的なものであるが、遺伝子分子が他の分子を作り出すには、何らかのプロセスがあるにちがいない。わたしは仮説としていってみるのであるが、生物学的物質の同一性を決定する型(pattern)の要素は、ある周波数、分子スペクトルとかいうべきものの周波数であるかもしれない。そうすれば、遺伝子が自ら組織化すること(self-organization)は…周波数の自己調整の一つの現われということになろう」16頁

「学習する機械の考えは、サイバネティックス自身と同時に生まれたものである」16頁

「学習機械の概念が、われわれのつくった機械に適用されるのであれば、動物とよばれる生命のある機械にもこの概念は意味をもつにちがいない。それは、生物学的サイバネティックスにも、新しい光を投げかけるであろう。この方面の最近の数多くの研究の中で、生物体のKybernetics(綴りに注意されたい)についてのスタンレー-ジョーンズ(Stanley-Jones)の本を特に挙げたいと思う。この本では、神経系の活動レベルを保つフィードバックと、特別の刺激に反応するフィードバックに多くの注意がはらわれている。系のレベルと個々の反応の関係は、かなりの程度乗法的なものであるので、当然非線型とな…る」19-20頁

「だいぶ前から、ローゼンブリュート博士も私も、すでに確立された科学の諸分野のあいだにあるだれからも見捨てられている無人地帯こそ、これから稔り豊かに発展する見込みのある土地なのだという確信を、おたがいにもっていた。…
 科学のこういう境界領域こそ、有能な研究者に最も稔り豊かな好機を与えるものである」27-9頁

「ビゲロウ氏と私が得た重要な結論は、随意運動においてとくに重要な要素は、制御工学の技術者が ’フィードバック’ とよんでいるものであるということであった」36頁

「中枢神経系はもはや、感覚から入力を受けて筋肉に放出するだけの独立な器官であるとは思えなくなった。それとは反対に、中枢神経系のきわめて特徴的なある種の機能は、循環する過程としてのみ説明できるものである。この循環する過程は、神経系から発して筋肉にゆき、自己受容性の感覚を伝える末梢神経か、別な特殊な感覚であるかを問わないが、いずれにせよ感覚器官を通して、再び神経系にもどってくるものである」39頁

「ビゲロウ氏と私自身が感じていたことは、制御工学と通信工学の問題が、たがいに切りはなし得ないこと、またこれらの問題が電気工学の技術のみに関するものではなく、むしろ通報(message)という、はるかに基本的な概念に関するものであるということであった。ここにいう通報とは、時間的に分布した測定可能な事象の離散的あるいは連続的な系列のことであって、電気的・機械的な方法、あるいは神経系などによって伝送されるもの一切を含んでいる」40頁

「相互に関係しあう誤差は、ハイゼンベルク(Heisenberg)の量子力学にのべられている位置と運動量の測定が互に相反するという問題、いわゆる不確定性原理と呼ばれるものと相通ずるものであると思われた」41頁

「情報量の概念は、統計力学における古典的なエントロピーの概念ときわめて自然に結びついている。ある系の情報量はその秩序の度合の測度と考えられるが、それと同様に、ある系のエントロピーとは不秩序の度合の測度とも考えられる。従って一方の正負の符号を変えさえすれば他方になるのである。…生命の第3の基本現象、すなわち刺激に対する感受性は通信理論の領域に属し、またわれわれが今論じた考えかたの体系の中に含まれていることになる」44-5頁

「ローゼンブリュート博士と私のまわりの科学者のグループは、通信と制御と統計力学を中心とする一連の問題が、それが機械であろうと、生体組織内のことであろうと、本質的に統一されうるものであることに気づいていた。他方、われわれはこれらの問題に関する文献に統一のないこと、共通の術語のないこと、またこの分野自身に対する名前一つないことに甚しく不自由を感じた。…科学者がよくするように、ギリシャ語から一つの新造語を造って、この欠を補わざるを得ないということになった。それでわれわれは制御と通信理論の全領域を機械のことでも動物のことでも、ひっくるめて ’サイバネティックス’(Cybernetics)という語でよぶことにしたのである」45頁

「科学史の中からサイバネティックスの守護聖人を選ぶとすれば、それはライプニッツであろう。…ライプニッツの ’推理計算法’(calculus ratiocinator)は ’推理機械’(machina ratiocinatrix)の萌芽を含んでいたのである。事実、ライプニッツ自身、彼の先駆者パスカル同様、金属部品で計算機械をつくることに興味をもっていた」46-7頁

「このグループの人たち[生物物理学者]は、エネルギーやポテンシャルなど、古典物理学的な方法ばかりを主として用いているので、神経系のような、エネルギーから見て閉じていない系の研究では、最良の結果に到達できないのではないかとの批判もある」49頁

「人間の社会組織の同様な問題[通信手段を通じた共同体理解]については、人類学者のベイトスン(Bateson)博士とマーガレット・ミード(Margaret Mead)博士の援助を求めた。…
…ベイトスン博士とマーガレット・ミード博士は、現代のような混乱した時代では社会的・経済的問題がひじょうに緊迫しているため、サイバネティックスのこの面での討論に精力をもっと集中するようにと私に要請した。
…現代の社会の病状に相当な治療効果が得られるほどこの方面の進歩が期待できるとも私には思われない。…人間の科学は数学の新しい手法の効果をためすにはひじょうに都合の悪い分野である」58・69-70頁

「厳密にニュートンの[可逆的な]図式に合うような科学は一つもない。生物学は完全に一方向きの現象を扱っている。誕生は死の正反対のものではなく、組織の発達を意味する同化作用は、組織の破壊を意味する異化作用の正反対のものではない。細胞の分裂も時間的に対称な様式では行なわれないし、受精卵をつくる生殖細胞の結合も同様である。個体は時間的に、一方向を向いた矢であり、種族も同様に過去から未来に向けられている。
 古生物学の記録には、断絶したり錯雑したりはしているが、単純なものから複雑なものへとすすむ長期にわたる決定的な傾向が見られる。この傾向は、19世紀の中ごろには、誠実な偏見のない科学者には、誰にもはっきりわかってきていた。その機構を解明する問題が、ほとんど同じころ研究を続けていたチャールズ・ダーウィンとアルフレッド・ウォーレスの2人によって、同一の方向へ大きな進歩がもたらされたのはけっして偶然ではない。この進歩というのは次の事実の認識にある。すなわち個体にしても種族にしても、いくつかの変異ができれば、そのおのおのの間には生存力の強さに差があるので、種の個体の単なる偶然の変異は、大体一方向性、あるいは二、三方向性をもつ進化をするようになるということである」88-9頁

「ダーウィンによる進化というのは…多少とも偶然による変異が、もっとはっきりした表現型に結びつけられてゆくメカニズムをいうのである。今日われわれはその基盤となっている機構について、もっと多くのことを知っているけれども、ダーウィンの原理は今日なお成り立っている。メンデルの研究はターウィンのものよりもはるかに精密に、遺伝の不連続的な面を示しているが、ド・フリースの時代以後、突然変異の考えが、変異の統計的基礎についての考えかたを根本的に変えてしまった」89頁

「われわれはすでにチャールズ・ダーウィンの息子ジョージ・ダーウィン卿の潮汐進化説について言及したが、親子の思想の関連も、”進化” という名称の選択も、偶然ではない。種の起源の場合と同じように、潮汐進化説においても、干満のある海中の波や水の分子の不規則な運動の偶然の変動が、力学的な過程で一方向にすすむ発展に変わってゆく機構が論じられている。潮汐進化説は明らかに父親のダーウィンの考えを天文学に応用したものである」90頁

「ニュートンの可逆的時間からギブズの非可逆的時間への…変遷は、哲学上の反響を呼びおこした。物理学の可逆的時間では新しいことが何も起らない。他方、進化論や生物学の非可逆的時間では、たえず新しいことが起ってくる。ベルグソン(Bergson)はこのちがいを強調したのである。生気論(vitalism)と機械論(mechanism)のあいだの古くからの論争の中心問題は、おそらくニュートン物理学が生物学を扱うための枠として不適当ではないかという認識にある。しかもこの論争は、唯物論の侵入に対抗して霊魂や神の痕跡だけでも何らかの形で保とうという望みによって、よけい複雑になったのである。…結局、生気論者はあまりに多くのことをやりすぎた。生物学からの要求と物理学からの要求とのあいだに壁を設けるかわりに、物質と生命の両方を含めて広くとりまく壁をつくってしまったのである。なるほど、新しい物理学における物質は、ニュートンの物質とはちがうが、生気論者の希望する擬人化されたものとははるかに遠いものである」91-2頁

「17世紀と18世紀の初期が時計の時代であり、18世紀と19世紀が蒸気機関の時代であるとするならば、現代は通信と制御の時代である」93頁

「ギリシャや魔術時代の自動機械は、現代の機械発達の主方向に沿っていないし、重要な哲学思想に大きな影響を及ぼしたとも思えない。時計じかけの自動機械では全く事情がちがっている。われわれは無視しがちであるが、この考えは近代哲学においてひじょうに本質的で重要な役割を果したのである。
 まず、デカルト(Descartes)は下等動物を自動機械と考えた。…デカルトは、これらの生きた自動機械の機能がどんなものであるかについて論じたことはなかった。しかし感覚と意志との両面において、人間の魂が、その物質的環境とどう結びつくかというそれに関連した重要な問題を、デカルトは不十分な形ではあったが論じている。彼はこの関連が、彼にはわかっていた脳の中央部分、いわゆる松果腺において起ると考えた」95-6頁

「現代の自動機械の多くは、印象の受容と、動作の遂行とで外界と連絡している。これらは感覚器官・効果器・神経系に等価なものをもっており、相互間の情報の移動を全体的に統合している。それらは生理学の術語を使って記述するとぐあいのよいものである。これらが生理学と同じ機構をもった一つの理論に統一されるのは何ら奇蹟ではない」101頁

「現代の自動機械は、生物体と同種のベルグソンの時間のなかにある。したがってベルグソンの考察のなかで、生物体の機能の本質的な様式が、この種の自動機械と同じではないとする理由はないのである。機械論でさえ、生気論の時間構造に符合するというところまで、生気論は勝利をおさめたのであるが、この勝利は…完全な敗北であった。道徳あるいは宗教に少しでも関係のある立場からみれば、この新しい力学は古い力学と同じく完全に機械論的てあるからである。われわれがこの新しい立場を物質論的と呼ぶべきかどうかはおよそ言葉の上での問題に過ぎない。物質の優位は現代以上に19世紀の物理学の一つの相を特徴づけており、”唯物論” は単に ”機械論” とほとんど変わりのない同義語になった。事実、機械論者-生気論者間の論争はすべて、問題の提出の仕方が拙かったために生じたものであって、すでに忘却の淵に葬り去られたのである」102頁

「エントロピーの増加則は完全に孤立した系に適用されるものであるが…孤立していない系の一部分には適用されない」126頁

「[マクスウェルの]魔が働かなくなるまでにはかなり長い時間があり、この時間は相当ひきつづくので、この魔の活動期間を準安定(metastable)といってもよい。準安定状態にある魔が実際には存在しないと考えるべき理由はない。実際、酵素は準安定状態にあるマクスウェルの魔といってよく、これは速い粒子と遅い粒子とを区別するかわりに、おそらく何かこれに相当する操作によって、エントロピーを減少させるのだろう。生体とくに人間自身もこの考えで見ることができよう。酵素や生体は確かにどちらも準安定な状態にある。酵素の安定な状態とは効目のなくなることであり、また生体の安定な状態は死ぬことである。すべての触媒はしまいにはきかなくなってしまう。触媒は反応速度を変えるものであって、真の平衡状態を変えるものではない。しかし触媒も人間もどちらも、十分はっきりした準安定状態をもつので、これらは比較的恒久性のある状態と考えてよいほどである」128頁

「情報が失われていく過程は、当然予想されるように、エントロピーが増大する過程にひじょうによく似ている。…通報にどんな操作を加えても、平均としては情報を増やすことができない。これこそまさしく熱力学の第2法則の通信工学への適用である」138頁

「量子力学は現代物理学が時系列理論の侵入を受けた最も重要な部分である。…
 物理学に対するハイゼンベルクの偉大な貢献は、ギブズのまだ準ニュートン的であった世界を、その中では時系列が時間的発展について決定論的なつながりの集合にはどうしても帰着できないような世界で、おきかえたことである」185-6頁

「フィードバック原理の生理学への重要な応用をのべるのを忘れるわけにはいかない。それはいわゆる ’恒常性’(homeostasis)についてであるが、そこでは生理現象にある種のフィードバックが出てくるだけでなく、それが生命の継続に絶対必要である多数の例が見出される。…
…恒常性のフィードバックでは、随意的および姿勢的フィードバックとは一般的にちがった点が一つある。それはだんだんゆっくりしたものになっていく傾向があるという点である」222-3頁

「機械の使い方と脳の使い方とのあいだには次のようなちがいがあることに注意しておこう。すなわち機械は、相互にまったく関連なしに、あるいは最小限度の関連をもって、多数回連続的に使用できるようにつくられており、1回ごとに記録は抹消される。ところが脳はふつうの状態では、近似的にさえも過去の記録を抹消してしまうことはない。したがって正常な状態では、脳は計算機に完全に相似な性質をもつものではなく、むしろ計算機を1回だけ運転する場合に似ている」234-5頁

「脳と計算機とが多くの共通点をもっているという認識は、精神病理学にとってはもちろん、精神病学にとっても、新しい有効な近接手段を暗示するものと思われる」273頁

「いかなる形の有機体の大きさにも上限があって、それを超えると機能を果たし得なくなるということは、ダーシー・トンプソン(D’Arcy Thompson)などの多数の著者がすでに言及している。…同様な事柄は工学的な建造物にも見られる。…同様に、拡張を予定しない一定の計画に従って建設される電話局の大きさにも限度があり、その限度は電話技術者によって徹底的に研究されている」283-4頁

ダーシー・「トムソン」が一般的ですね…エボデボの祖と目される人の一人

「人間の脳のニューロン連鎖が、他の動物よりも長いことから、精神異常が人間に最も顕著にあらわれ、またおそらく人間に最も多く見られるということが説明されよう」287頁

ほんまかいな😅

「パストゥール(Pasteur)は彼の経歴の割合初期に右側の脳出血を起し、それ以来中程度の片側麻痺、いわゆる半身不随となった。彼が死亡したときに脳を検査して、右脳に傷害があることがわかったが、それは相当広範囲にひろがったものであった。彼は脳出血以来 ”脳を半分しかもっていなかった” といわれたほどである。…それにもかかわらず、この傷害の後に彼はすぐれた研究をいくつか行なったのである」289頁

「ライプニッツは生体をその中に血球などの他の生体が生存している一つの集合体と考えた。これも[ホッブズの『リヴァイアサン』と]同じ方向に一歩考えを進めたものに他ならない。事実これは、細胞説の哲学的な先駆であったといってよい」293頁

フォロー

「共同社会というものは、情報が効果をもって伝達される範囲のところに成立するのである。それについては、一つの集団に、外部からもたらされる決定の数と、その集団内でなされる決定の数を比較して、一種の測度を与えることができる。それによって、集団の自治(autonomy)の程度が測定される。集団の実際上の広がりは、このようにしてあらわされる自治の程度がある程度まで達した部分の広がりとして測られる」298頁

「共同社会の有効な情報量に関連して、国家に関するもっとも驚くべき事実の一つは、有効な恒常作用(homeostatic process)が極度に欠けていることである」299頁

「成員の間の結合が密接な小さな共同社会は、高度の教育をうけた人たちの文明社会であろうと、原始的な社会であろうと、相当な程度の恒常作用をもっているのである。原始的な共同生活をおくる人々の風習は、時に奇妙でわれわれに反感をさえ催させることもあるが、一般にひじょうにはっきりした恒常作用としての価値をもっており、それを解釈することは人類学の仕事に属している。無情なやりかたが最高の水準に達し得るのは大きな共同社会における場合だけである。…社会における、これらの恒常作用に反する諸因子のうちで、報道手段の統制がもっとも効果的で、また重要なものである。
 本書で学んだことの一つは、どのような組織体でも、情報の獲得・使用・保持・伝達のための手段をもつことによって、恒常作用が営まれるということである」302-3頁

「精密科学におけるすべての偉大な成功は、現象が観察者からある程度以上に離れている分野で得られたのである。…
 観察者と観察される現象との結合を最小にすることが最も困難になるのは社会科学においてである。観察者の側からいえば、社会科学における観察者は彼の注意をひく現象に大きな影響を与えることができる。…民族の社会的習慣の多くは、それについて調査をしたということだけのために、失われたり歪曲されたりしてしまうことがある。ふつうに言いならわされているのとは別の意味で、’翻訳者は叛逆者である’(tradutore traditore)。
 他方、社会科学者は、その研究する問題を時間的にも場所的にも無関係な立場から冷静に見下ろせるかといえばそうではない。…
…結局、社会科学においては、調査が統計的なものであっても力学的なものであっても——調査はその両方の性質をもつべきものであるが——その結果の数字は最初の2,3桁しか信用できない。要するに自然科学でいつも得られるものと比較しうるほど確実で意味のある情報は得られないのである」306-9頁

意外と「社会工学」に批判的

「生物組織を特徴づけるとわれわれが考えている現象に、つぎの2つのものがある。学習する能力と、増殖する能力である。この2つは、一見異なっているようだが、互に関連している。学習する動物というのは、過去の環境によって、今までとは異なる存在に変化することができ、したがって、その一生のあいだに、環境に適応できる動物のことである。増殖する動物というのは、少なくとも近似的には、自分と同じような別の動物を作り出すことのできる動物のことである。’同じような’ といっても完全に同じで、時間がたっても変らないというわけではないだろうから、もしこのときに生ずる変化が遺伝するものならば、その素材に自然淘汰がはたらき得ることになる。遺伝によって行動のしかたが伝えられるものならば、それらのいろいろな行動の形態のあるものは、種の生存のために有利であることが見出されて、固定され、種の生存に不都合な他の行動形態は排除される。こうして、ある種の、種族的(racial)、または系統発生的(phylogenetic)な学習が生じる。この反対が、個体の個体発生的(ontogenetic)な学習である。種族的、個体的学習はともに、動物が自分自身を環境に適応させていく手段である」314頁

「個体的学習も種属的学習も、特に後者は、動物だけではなく植物にも見られる。それは何らかの意味で生命があると考えられるすべての組織に見られるのである。しかし、生物体の種類が異なれば、この2種の学習の重要さの程度も大幅に異なるものとなる。ヒトにおいて、またそれほどではないが他の哺乳類において、この個体的学習と、個人的な適応性は最高度に発達している。実際、ヒトの種属的学習の大部分は、個体的学習がうまくできる能力を確立することに向けられているといっても過言ではない」315頁

「ジュリアン・ハックスリー(Julian Huxley)は、鳥の心理についての基本的な論文で、鳥では、個体的学習能力が僅少であることを指摘している」315頁

「アミノ酸と核酸の混合物から自分と同じ遺伝子分子を作り出すのに、遺伝子が ’鋳型’ として動作するときの機構や、ウイルスがその宿主の組織と体液から自分に似せて他のウイルス分子を作る機構と、今までに述べてきたこと[増殖する機械]とは思想的にひじょうにかけはなれたことであろうか。私は、これらの過程がその細部にいたるまで同じであるとはけっして思わないが、思想的にはひじょうに類似の現象であると考えるのである」334頁

「学習は、個体の経験による環境への適応、すなわちいわゆる個体的学習の基礎であるのに対し、増殖は、種属的学習の基礎をなす。後者は変異や自然淘汰がはたらく対象である。…哺乳動物、とくにヒトは、環境への適応を大部分個体的学習によって行なう。一方、鳥類は、きわめて多彩な行動形態を有するが、それらは個体の一生のうちには学習できないものであって、鳥類にあっては種属的学習が強力に行なわれているわけである」335頁

「生物学の主要な問題の一つに、つぎのものがある。すなわち遺伝子やウイルスを形成する基本物質、またはガンを発生させる、多分、特別な物質が、それらの特殊性を全然もっていない、アミノ酸と核酸の混合物などのような物質から自分自身をどうやって増殖させていくかという機構の解明である。普通なされている説明は、これらの物質の一つの分子が鋳型として働き、その鋳型にしたがって、成分となる小さな分子がならんで、もとの物質と同種の巨大分子(macro-molecule)を作り上げるというのである。しかし、これはまったくの言葉のあやであって、すでに存在している巨大分子になぞらえて、もう一つの巨大分子が形成されるという生命の基本現象を単にいいかえたにすぎない。この過程がどのようにして起るものであるとしても、ともかく動的な過程であり、力またはそれに相当するものが関係する。この力を説明する一つの可能な方法は、分子の個性(specificity)は、分子の輻射の周波数の型によって決定されると考えることである」369頁

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