Cannon, Walter B. (1932) The Wisdom of the Body, Norton.
=1981 舘鄰・舘澄江訳『からだの知恵——この不思議なはたらき』講談社学術文庫

訳者名が難しくて、「舘」は「たちひろし」ですぐ出ましたけど😅、「鄰」は「ちかし」と打っても出てくるわけなく、「りん」の下の方を探したらありました!!(Amazonでは左右入れ替わって普通の「隣」になってます😅)

「われわれのからだの構造がきわめて不安定であること、きわめてわずかな外力の変化にも反応すること、そして、好適な環境条件が失われたときに、その分解がすみやかに始まることを考えると、それが何十年にもわたって存在しつづけることは、ほとんど奇跡的なことであるように思われる。
 この驚きは、からだが外界と自由な交換をしている開放的な系であり、構造そのものは永久的なものではなく、つねに消耗され破壊され、修復の過程によって絶えず築き直されているのだということを知ったとき、さらに強いものになる」22-3頁

「自然治癒力
 生物が、自身のからだをつねに一定の状態に保つ能力は、長いあいだ生物学者たちに強い印象を与えてきた。病気が、体に備わる自然の力、『自然治癒力』でなおるのだという考えは、すでにヒッポクラテス…が抱いていたものだが、この考えのなかには生物の正常の状態がかき乱されたときに、ただちに作用してそれをもとの状態に戻すたくさんの力があることが示されている」23頁

シャルル・リシェ(1900年)「ある意味では、生物は、変化しうるがゆえに安定なのである——なにほどかの不安定性は、個体の真の安定性のための必要条件である」24頁

「このうえもなく不安定で、変わりやすいという特徴を持つ材料で作られている生物は、なかとかその恒常性を保ち、当然生物に深刻な悪影響を及ぼすと思われる状況のなかで不変性を維持し、安定を保つ方法を習得している」24-5頁

「外界の変化によってひき起こされる変化に対する抵抗性だけが、適応し安定性をもたらす仕組みの証拠ではない。からだの内部から生まれる不調和に対する抵抗性も存在している。…
 簡単にいえば、充分な備えを持った生物のからだ——たとえば哺乳動物——は、外界の危険な状況や体内の同じように危険な可能性に直面して、しかも生きつづけ、比較的わずかの障害に止めてその機能を継続しているのである」25-6頁

「からだにおける恒常性の維持(ホメオステーシス)
…われわれのからだを造りあげている不安定な素材が、とにかく安定性を維持する方法を習得した…この『習得する』という言葉を使うことは不適当なことではない。外界の条件が広く変化しても、安定な状態を維持する過程を完成したのは、なにも高等な動物にだけ特別の恩恵が与えられていたからではなく、段階的な進化の結果である」26頁

「からだのなかに保たれている恒常的な状態は、<平衡状態>と呼んでもよいかもしれない。しかしこの用語は、既知の力が平衡を保っている比較的簡単な、物理化学的な状態、すなわち、閉鎖系に用いられて、かなり正確な意味を持つようになっている。
 生体のなかで、安定した状態の主要な部分を保つ働きをしている、相互に関連した生理学的な作用は、ひじょうに複雑であり、また独特なものなので——それらのなかには、脳とか神経とか心臓、肺、腎臓、脾臓が含まれ、すべてが協同してその作用を営んでいる——私はこのような状態に対して恒常状態(ホメオステーシス homeostasis)という特別の用語を用いることを提案してきた。
 この用語は、固定し動かないもの、停滞した状態を意味するものではない。それは、ある状態——変化はするが相対的に定常的な状態——を意味するものである。
 高度に進化した動物が、その内部の状態を一定の安定した状態(すなわち、恒常状態)に保つために用いている方法は、安定した状態を確立し、調節し、支配するためのある一般的な原理を示しており、不安な変動に悩む他の組織——社会的、産業的なものであっても——にとっても、役立つ可能性があるかもしれない」28頁→

(承前)「比較して研究してみれば、すべての複雑な組織だった系が、多かれ少なかれ効果的な自動的な補償機構を持っており、組織にひずみが生じたときにその機能が止まったり、その部分が急速に分解するのを防いでいることが、きっと明らかになるだろう。そして、複雑な生物で用いられている、このような自動的な補償方法を充分に調べてみれば、まだ有効に作用していないか、不充分な働きしかしていない方法を改良し、完全なものにするための糸口がえられることと思われる」28頁

「からだのなかに安定した状態を作り出し、それを保つうえにきわめて大切な働きをしているのが、からだの内部環境すなわち、われわれがからだを満たす液質 fluid matrixと呼んでいるものであることを最初に取りあげたのは、偉大なフランスの生理学者、クロード・ベルナール…であった。すでに、1859年から60年にかけて、ベルナールはその講義のなかで、複雑な生物には2つの環境——一つは、無生物にとってのものと同じもので、生物全体を取り囲んでいる一般的な環境であり、他の一つは、からだを作っている要素にもっとも適当な生存条件を与える、からだの内部にある環境——があることを指摘している」42頁

ベルナール「『内部環境』の不動性こそ、自由で独立した生存の条件であり、生命を維持するに必要な機構はすべて、それらがいかに変異に富んでいようとも、ただ一つの目的を有している。すなわち内部の環境に、生存のための条件を一定に保つことである」43頁

「平均的な状態からはなはだしくはずれて変動が起こり、細胞の機能をそこない、生物の存在をおびやかすような危険な状態になることは、めったにない。そのような極端なことが起こるまえに、かき乱された状態をふだんの位置にまでひき戻す作用が、自動的に働き始めるのである」45頁

「文明社会の人々が、体温の恒常性を保つための生理的な機構に無神経な干渉を加えているにもかかわらず、そのような機構は存在しており、いつでも作用できるよう準備されている。
 生物を一つの方向に押しやろうとする傾向がある条件では、そうした傾向に反発する一連の作用がただちに働かされる。さらに、反発する傾向が強まれば、他の一組の作用がすみやかにそれに抵抗する。こうして、まったく自動的に、からだの内外にある不利な条件に抗して、内部環境の驚くべき一様性が保たれるのである」227頁

「からだの内外から加わる有害な影響に抗して安定性を維持するための目ざましい仕組み…野獣や顕微鏡的な細菌に対して、からだの全体性を守っているすばらしい備え…構造の強度や作用の能力には、平生必要とされる以上に、ひじょうに余裕のある安全性の幅が与えられている」260頁

「生物が応じなければならない本質的な問題、生存と種の繁栄の問題」265頁

「私はクロード・ベルナールの考えにしたがって、われわれはまわりを取り囲んでいる大気のなかに生存しているのではないことを強調した。われわれは、死んだ細胞や粘液や塩溶液の層で大気から隔てられている。これら生命のない物質の表層のなかで生きているすべてのものは、液質、血液やリンパ液に浸されている。すなわち、これら液質は、内部環境を作っているのである。
 内部環境あるいはからだを満たす液質が、いちじるしく変化したときに生ずるひどい危険を見れば、それを安定に保つことがいかに重要なものであるかはっきりと知ることができる。クロード・ベルナールは、安定性の維持が、自由で妨げられない生活の条件であることを明白に認識した。
 われわれは、からだの内部に環境を備えて、行動するのである。そのため、われわれの身の回りに起こる、たとえば、温度変化、湿度、酸素含有量の変化も、極端でないかぎり、われわれの生命を包んでいる内部環境にはほとんど影響を及ぼさない。
 しかし、この快適な安定性、恒常性も、ふだんいつも破局を防ぐべく待機しているすばらしい仕組みの働きなしには、保証されない。そのままにしておけば、たちまち生物に深刻な悪影響を与えるような条件が、からだの内部に生まれるだろう」281-2頁

「『内的環境』の恒常性…
 われわれのからだの構造と化学的組成のもっともいちじるしい、当然強調さるべき特徴の一つは…それらが本来きわめて不安定であるということである。循環系の調和のとれた働きがほんのわずか狂っても、からだの構造の一部は完全に破壊され、みごとに構成されたからだ全体の存在が危険にさらされる。
 多くの実例で、われわれはしばしば、そのような不測の事態が起こることを知ると同時に、不測の事態が生じても、考えられるような悲惨な結果に終わることがいかにまれであるかも知った。
 原則として、生物に有害な影響をおよぼす条件があればいつでも、生物そのもののなかにそれを防ぎ、乱された均衡を回復する要因があらわれる。この安定性をもたらす仕組みの<型>が、われわれの現在の興味の中心なのである。
 ある種の器官は、その作用が速すぎたり遅すぎたりしないよう、一種の調節作用に支配されているが——抑制神経と促進神経を持つ心臓は一つの例である——このような例は、自己調節作用の二次的、補助的な形態であると考えることができる」301-2頁→

(承前)「からだのあらゆる部分に安定した状態をもたらすのは、主としてからだの本来の環境、内部環境、あるいはからだを満たす液質を一様に保つことである。からだを満たす液質は、共通の<媒体>であり、物質交換の手段として、また供給物や老廃物の便利な運搬手段として、あるいは温度を均衡させる手段として、多くの部分に安定した状態がもたらされやすいような基本的な条件を整える。
 クロード・ベルナールが指摘したように、この『内的環境』は生物自身が生み出したものである。これが一様に保たれているかぎり、からだのいろいろな器官の働きの安定性を維持する特別の仕組みは、不要である。したがって、『内的環境』の不変性は経済的な仕組みであると考えられる。
 高等動物がたどってきた進化の道程の特徴は、この生命を包み、それに適当な条件を与える要因としての環境の働きを、しだいによりよく支配するようになってきたことである。この支配が完全であるかぎり、行動の自由にからだの内外から加えられる制限は取り除かれ、ひどい障害や死の危険は最小限にとどめられる。したがって、われわれのからだのいちじるしい安定性の本質を理解するうえで中心となる問題は、からだを満たす液質の一様性がいかに保たれているかを理解することである」302-3頁

「恒常性を維持する機構
 からだの内部環境の状態がはなはだしく変化することのないよう保証している、もっとも大切な目ざましい仕組みは、刺激に感じやすく自動的にそれを標示する機構、あるいは見張りの役をしている機構である。障害のごく初期に、この機構の働きで補正作用の活動が開始される。
…都合の悪い変化の最初のきざしが現われると、すみやかに、そして、効果的にそれを正すような処置がとられる例を、すでに学んできたのだが、そのようなきざしを最初に捕える仕組みや矯正作用が、いかに働いているかという点について、はっきりした知識はえられていない。…
 からだの内部環境は驚くほど安定であり、たとえ変化が起こってもただちにもとに戻されるが、これまでにとりあげた以外の内部環境の変化を示す仕組みについては、残念ながらまだわかっていない」303-5頁

「恒常性維持と貯蔵
 恒常状態を調節する働きは、その安定な状態が<物質>に関連したものであるのか、<作用>に関連したものであるのかによって、2つの一般的な型に区分することができる。…
 物質の供給は偶発的で不安定であり、その需要は絶え間なく、またときには高まる。多くの例で示されているように、物質の恒常性はそれらの間を調整する<貯蔵>によって維持されている。…貯蔵には2つの種類がある——その場の調節と使用に当てる<一時的>なものと、長くためておいて継続的に利用する<積み立て的>なものである。
 一時的な貯蔵は、明らかに、組織の隙間にただあふれ込んだ結果である。…
 物質をたくわえるこの簡単な方法を、われわれは『氾濫による貯蔵』と呼んだ。問題となる物質の相対的な濃度以外、とくにこのために作られた支配機構は、血液にも、小さな袋のような結合組織にも、ないように思われる。
 多かれ少なかれ永久的で、積み立て的な貯蔵では、物質は細胞内部、あるいは特定の場所に隔離される。これらは隔離による貯蔵と呼ぶことができよう。
 ある種の場合にこの方法を支配している作用についての知識から考えてこれが氾濫による貯蔵と異なっている点は、神経あるいは神経液…による支配を受けているという点である」305-7頁

「貯蔵の背後にあるもの、または事実上貯蔵の原因となるものは、食物や水をとるよう刺激する作用である。主としてこれらは、飢えとか渇きとかの不快な体験である。食物を食べればおさまる不快な苦痛、水や水の多いものを飲めば消え去る口の不快な乾燥。しかし、これらの自動的に生ずる『衝動』は、ときには快い味覚や嗅覚にわれわれを導く。
 このような感覚は、そのもととなる特別な食物や飲物をとることに結びつく。こうして食欲が生じ、食べたり飲んだりするよう<引きつけて>、飢えや渇きで苦しむ必要はある程度なくなる。しかし、食欲だけで供給を維持することができなければ、より強制力の強い、どうにもしがたく駆り立てる作用が働き始めて、やむなく貯蔵を補わせるのである」309頁

「恒常性維持と『あふれ出し』
 からだを満たす液質の恒常性を保つ別の仕組みは、<あふれ出す>現象である。この仕組みは液質中の物質が変動して増加しないよう制限を加えている。
…有閾物質が主として組織の隙間にあふれること、いいかえれば、氾濫によって貯蔵されることは興味深いことである。これらの物質が充分にたくわえられているときには、あふれ出しの仕組みは恒常性を保つ、きわめて有効な方法である。…
 あふれ出しはたんに老廃物(炭酸ガス)の濃度を低く保つための調節機構として用いられるばかりでなく、役にたつ物質(ブドウ糖)の濃度を下げて一定に保つときにも用いられる。ここでふたたび、からだを満たす液質の安定性が、生物の基本的な条件としていかに大切であるかが示されていることに気がつくのである」309-11頁

「からだの恒常性維持に関する仮説
 1926年に、私はからだの安定性およびその維持に関して数多くの仮説を提出したが、それらはからだの恒常状態の一般的な特徴を考えるうえで関連がある。ここでは、それらのうちの4つだけについて考えてみよう。
『われわれのからだが代表しているような、不安定な物質から成り立ち、つねにその状態をかき乱すような条件にさらされている開放系が安定であるということは、そのこと自体、安定を維持するために働く、あるいは働く用意をしている作用の存在の証明である』。…
『ある状態が安定であれば、それは、自動的に変化に対抗する一つまたはそれ以上の要素の効果が増すことにより、変化をもたらすような傾向がすべてうち消されているためである』。…
『恒常的な状態を決定している調節系は、数多くの協調して働く要素からなっており、それらは同時に、あるいはつぎつぎと継続して作用を開始する』。…
『恒常状態をある方向に動かすことのできる要素がわかったときには、それを自動的に調節している作用を捜し、あるいは反対の効果を持った一つないし多数の要素を捜し求めるのは正当なことである』」315-7頁

「恒常性維持と進化
 あらゆる種類の動物で、恒常状態の調整が充分行われているとは考えられない。これまでに私があげた例は、哺乳類についての実験と観察からえられたものであった。他の動物のなかでは、鳥類だけが、哺乳類と同じようにからだを満たす液質を安定に保つ複雑な機構を持っているといえる…
 外界の変動から動物を解き放つ、調節された内部環境を持つという意味では、爬虫類や両生類の構造はさらに発達が遅れている。…両生類と同様、爬虫類も『冷血動物』であり、環境の温度が低くなればその活動は制限される。
 哺乳類に見られるような恒常性は、進化の結果作られたものである——内部環境の安定性は、脊椎動物が進化してくるあいだに、ただ一歩一歩とえられてきたものである——という事実はおもしろいことに、個体の発生のさいそのまま認められる事実である。
 生まれてからかなりのあいだ、赤ん坊には恒常性を維持する調節作用が欠けているか、その働きが不充分であり、あとでかなりゆっくりそのような調節作用が獲得される。個体の歴史は種の歴史を要約する、いいかえれば、個体発生は系統発生のくり返しであるという考えの裏づけとなる一群の事実につけ加えられるべき事実がここにある」317-8頁→

(承前)「生まれるまえは、もちろん赤ん坊は母親の『内的環境』の一様性の恩恵を受けている。生まれると同時に、赤ん坊は突如ひじょうに異なった、きわめて変動しやすい環境にさらされるが、そのとき赤ん坊自身の『内的環境』はあるにはあっても、それを変えるようなストレス(外部からの影響)を受けたことはまだかつてなかったわけである」319頁

「内部環境」と「内的環境」、訳者らは訳し分けているのか、それとも単に時々ぼんやりしていて別の言葉になっているのか😅

「生物の活動の基盤としての内部環境
 われわれの内部環境が安定に保たれているかぎり、われわれのからだに悪影響を及ぼす内外の作用や条件による制限から解放されるのだという事実を、これまで何度も指摘してきた。
 バークロフトは、まさに当をえた疑問を投じている。なんのための解放か? それは、主として神経系とそれに支配されている筋肉がよりすぐれた活動をするための解放である。
 大脳皮質を介して、われわれは周囲を取り巻く世界と意識的な関係を保つ。大脳皮質を介して経験を分析し、ある場所から他の場所へ移動し、飛行機を作り寺を作り、絵をかき詩を作り、あるいは科学的な研究をし発明をする。友だちを見つけともに語り、若い人々を教育し、同情を示し、恋を語る——実際、大脳皮質の働きによって、われわれは人間らしいふるまいをするのである」319-20頁→

(承前)「このように解放されていなければ、体外の寒さや体内の熱や、他の内部環境の要素の混乱が行動を止めたり、妨げたりして、われわれはそれに甘んじていなければならないだろう。あるいはまた、ほかのことをする暇がなくなるほど意識的な注意を払って安定を維持するために物質をたくわえ、体内で進んでいる作用の速さを変えねばならないだろう。それは、ちょうど家庭の義務が社会的な活動に制限を加え、内政の混乱のために外交的な関係を省くようなものである。
 このような状態では、生物が充分発展することも、能力をあますところなく発揮することも不可能である。知力や想像力、あるいは洞察や手先の技術のもととなる脳の働きを解放し、これらをより高度の用に当てることが可能なのは、平生の必要を満たす自動的な調節作用があるからである。
 したがって、まとめてみると、生物がより複雑な、社会的に重要な仕事をすることができるのは、それが自動的に安定な状態に保たれた液質のなかに生きているからである。変化が起こりそうになれば、それを正す作用がただちに働き、不調和が起こるのを防ぎ、不調和が生じたときには正常な状態に回復する」320-1頁→

ヒューリスティックみたいなこと言うとるな

(承前)「修正作用は、おもに調節機構として作用する神経の特定の部分によって行われる。この調節を行うために、まずたくわえられた物質で需要と供給の間を調整し、第2にからだの休みなく進んでいる作用の速度を変える。安定性を維持するためのこれらの仕組みは、無数の世代にわたる経験のたまものであり、また、それらは、われわれを作りあげているきわめて不安定な物質に、長いあいだにわたって驚くほどの安定性を保たせることに成功している」321頁

「安定性の一般的な原理はないものだろうか? 安定な状態を保つために動物のからだに発達した仕組みは、他に使われている、あるいは使うことのできる方法の例にはならないだろうか? 安定比較研究は意味深いものではないだろうか? 他の組織体——工業組織、家庭、あるいは社会——をからだの構想という立場から調べることは、有益なことではないだろうか?
 これは魅力ある疑問である。同じようなん疑問から哲学や社会学の歴史のなかでは、たびたび生物のからだと社会組織との類似が調べられた。生物学者も、哲学者や社会学者と同じようにこのような類似の魅力のとりこになった!
 生物学者は哲学者のように広範な視野をもたず、社会学者のように社会組織の複雑な細かい事実を知ってもいない。しかし、彼はそのような組織を作っている一単位として興味を抱く。また、そのような類似を彼は生物学的な見地からながめるのである。
 これまでにわれわれが調べた人間のからだを安定させる仕組みの新しい、本質的な理解は、社会組織の欠陥や、それを処理しうる方法を見抜くうえに新しい力を与えてくれるのではなかろうか? それらが社会条件の研究になんらかの意味を持っているかどうか知りたいと思う人は誰でも、からだの恒常性についての詳細な知識を利用することができる…」322-3頁

「からだ全体の統合…
 液性環境の存在は、特定の仕事に従事し、離れたところに位置する細胞の問題を一挙に解決する。このような仕組みが備わっていれば、離れた場所の細胞も食物や水や酸素の供給を心配する必要はなくなり、はなはだしい高温や低温からのがれ、蓄積する老廃物から身を避ける心配をする必要もなくなるのである。これらすべての条件を満たすよう働いているのは…液性環境を恒常に保つ特別の仕組みである。
 このような恒常性が維持されるかぎり、異なる器官のさまざまの種類の細胞には、充分にその特別の役割を果たす時間が与えられる。したがって、液性環境はより複雑な組織を形造るために、まず必要な条件である。
 液性環境がそのような組織を作ることを可能にし、それに安定性をもたらす。恒常性が平均に保たれているかぎり、液性環境は生物を全体としてその内外から課される制限から解放する手段であるばかりでなく、さまざまの器官を独立に支配する作用の必要性をはなはだしく減らし、重要な合理化の措置ともなるのである」326頁→

液性環境(液質)帝国主義😅

(承前)「また、からだを満たす液質の恒常性を調整している器官の細胞もそれ自身、からだ全体の組織の一部であるといえる。それらの細胞は、生物の外側から、ある条件を与えるように働いているのではない。血液やリンパ液の恒常性を維持するさい、それら細胞は、からだに不可欠な他の器官の細胞の利益のために働くと同時に、自分自身の利益のためにも働いている。簡単にいえば、それらは相互に依存している仕組みのよい例である。
 安全を保つ多くの原因があったとしても、個々の要素が統合されていなければ、からだ全体としての統合性は成り立たず、また、個々の要素は組織だった全体の一部としてでなければ、無能であり役にたたない」326-7頁

「社会活動の安定性
 原始的な状態にある小さな人間集団は獲物を追ったり、簡単な農業で生活を維持し、孤立した単独の細胞の生活状態と大差なかった。個々の人間は自由であり、広い範囲にわたってほしいままに移動し、自分の力で獲物を求め歩いた。しかし、彼らはそのときどきにその身を包む環境で[ママ]左右されていた。彼らがその環境を支配することはほとんどできなかったのである。必然的に彼らは環境の定める条件に従わなければならなかった。
 細胞が集まってからだを作るように、人間がたくさん集まって集団を成したとき、はじめて、相互に助け合い、多くの人々が特定の個人の創意や技能の恩恵を受けることができるような、内部構造を発達させる機会が生まれるのである。
 生物が進化して、より大きな複雑な生物が生まれるように、より大きな複雑な社会的共同体が発達するにしたがって、分業の現象はますます顕著なこととなる。文明社会の労働者の専門の種類には、ほとんど際限がない。また、生物のからだの分業と同じように、複雑な社会における分業は2つのいちじるしい効果をもたらす——すなわち共同体の個々の人々は、その特定の仕事をする場所に比較的固定されるようになり、彼らが生きつづけるために必要な物質の供給源からは遠ざかる」327-8頁→

(承前)「たとえば、大きな都市工業の熟練した機械工は、彼の食物を栽培したり、衣服を作ったり、燃料を直接手に入れたりすることはできない。これらのことは、他の集団の人たちに依存しなければならない。他の人々が自身の役割を果たしてはじめて、彼は自分の役割を果たすことができる。
 個々の人々は、全体的な協同のなかにその安全を見出すことができる。この点でも生物のからだと同じように、社会組織においても、その全体と個々の部分とは相互に依存している。大きな共同体の利益とそれを構成している個人の利益とは、互いに恩恵を与えあっているのである。
 現在ではまた、国家がその存在のために必要な平生の活動を安定に維持し、個々の人間の欠くことのできない要求が、つねに満たされるよう保証する手段を充分に完成していないことは明らかである。
 経済の大きな変動によってもたらされる不安や災厄を減少させる条件が、広く探求されている。安定性は人間をたくさんの苦痛から解放するであろう。うまくそのような安定性を完成している方法の例は、われわれ一人一人のからだの構造のなかに見出される」328-9頁→

(承前)「供給すべき物質の貯蔵と放出によって、あるいは作用の速度を変え、または傷害に対する自然の防衛作用により、また、作用している仕組みの、広い安全性の幅によって、正常のからだは何年にもわたって不安の原因に対して自身を守っている。われわれのからだは、極度に変化しやすい素材で造られているにもかかわらず、生物の誕生以来の限りなく多くの経験を通じて、安定性を維持する仕組みを発達させてきた」329頁

「社会的な動揺と反作用
 まず最初に注目すべき事柄は、社会それ自身、粗雑な自動安定作用らしき作用を示すということである。
…ある複雑な系の示すある程度の安定性は、そのこと自体安定性を維持するために働く、あるいは働く用意をしている作用の証明である…。さらに、ある系が安定に保たれていれば、それは、変化に対する一つまたはそれ以上の働きの効果が増すことによって、変化をもたらすような傾向がすべて打ち消されているためである。
 われわれに身近なたくさんの事実から、たとえ現在不安定な状態にあるにしても、社会においてもこのような解釈がある程度正しいことが証明される。保守的な傾向が現われれば、急進的な反対意見が刺激され、そのあとにはふたたび保守的な傾向が取り戻される。放任主義の統治とその結果は改革者を政権につかせるが、そのきびしい統治は、まもなく強い反抗と解放への要求を呼びさます。戦時中の尊い熱情と犠牲のつぎにくるものは、道徳への無関心と勝手放題のばか騒ぎである[😅]。
 国内に、ある強い特定の傾向がつづいて、悲惨な状況に至ることはまれである。そのような極端な状況になるまえに、それを是正する力が生じてその傾向を押し止め、さらにその力が強くなって、それ自身がまた反対の作用を呼び起こすのが普通である」329-30頁→

フォロー

(承前)「このような社会的な動揺とその反動の本質の研究は、貴重な知識をもたらし、おそらく変動の幅をせばめる方法に到達することとなるであろう。しかし、われわれは、この点については、ただ、社会の変動が大まかに制限されており、それはおそらく社会的な恒常性が初期の段階にあることを示すのであろうということに注目するだけにしておこう。
 似かよった事情にあるものとして、脊椎動物の進化や、生物個体の発生のさい、恒常性を保つ仕組みがはじめはあまりよく発達していないことを思い起こすことができる。
 他の点から高度に進化しているとされる動物においてのみ、すみやかに効果的に働く自動的な安定作用が見出される。比較的簡単な両生類の動物よりも、複雑な哺乳類において、内部環境ははるかに強く制御されており、それにしたがって、より大きな自由と独立が、悪環境のもとで、与えられていることをもう一度指摘したい」330-1頁→

(承前)「下等動物の場合のように、現在の社会構造がまだ発生のきわめて初期の段階にあるということは考えられないだろうか? 文明の進んだ社会は、恒常性を完成するという要求のいくつかのものを満たしていると考えられようが、他のものはまだ欠けているようであり、その欠けているがために危険な、そして避ければ避けられる不幸に苦しんでいるのである。
 さしあたって、生理的な問題にかなり限定して考えてみれば(すなわち、食物の供給とか、すみ家の問題)、個々の人間の恒常性が、社会のそれに大きく依存していることを認めざるをえない。われわれ個人の健康や能率を維持するために満たされねばならない、ある種の基本的に必要なものがある。…
 社会組織のなかで専門化した仕事をする人々は、専門化によって限定され隔離され、ほとんど完全に社会の安定性に依存しているので、恒常性がかき乱されると、深刻ないたでを受けるだろう。からだの要求が充分に満たされないばかりでなく、安心感が欠けるために苦しむことだろう。
 動物のからだでは…調節された液性環境が恒常性を維持し、あらゆる場所の細胞を、不安の種から、それが体内からのものであれ体外からのものであれ、守っている。文明社会で、われわれのからだのこの仕組みに相当する働きをしているものは、なんであろう」331-2

「社会における流通機構
 働きのうえで、動物のからだを満たす液質にもっとも近く、しかも民族や国に見られるものは、あらゆる種類の流通を行うシステムである…
 この巨大で複雑な流れの主流や支流は、多かれ少なかれすべての共同社会に達しており、財貨は他の地域へ運ばれるために、流れのなかへその源泉で入れられる。それらの地域は、また、同じように流れのなかに入れられる財貨の出発点になっている。…
 しかし、この流れのなかから財貨を取り出すことができるのは、同等の価値の財貨をそのなかに戻したときにかぎられる。もちろん、一般にはこのような直接の財貨の交換は行われない。
 直接の交換はきわめて不便なものであろう、交換をやりやすくするために、広く価値の認められた貨幣が用いられる。あるいは、信用が一時的に貨幣の代わりに用いられる。…貨幣と信用が社会を満たす液質のなくてはならない部分となっている。
 動物のからだが持っているのと同じ程度の安定性を、社会組織に保証しようとすると、動物のからだを満たす液質に安定性を維持している調節作用が思い起こされる。
 そこでは、まず第一に、巡り動く流れによって、生命の維持に欠くことのてきない物質が絶え間なく運搬されるよう保証されている」332-3頁

「さしあたり、私は最低の場合について述べた。社会組織の安定性が達成されるには、<最低限>これらの条件が満たされなければならない。生物学的な経験に照らしてみれば、社会的な安定は、固定し、かたまった社会組織のうちにあるのではなく、人間に根本的に必要なものがつねに供給されるように保証している、適応可能な産業的、商業的な活動のうちに求めるべきものである。
 社会組織は、外部から課されたり、自身の活動の結果生じたりする悪影響を、動物のからだのように、避けることができない。…
…財貨の移動が止められ、妨げられれば、生ずる結果は同じである。…
 これらさまざまな災厄のさいに、状況が彼らに押しつける困難に対して。社会を構成している個々の人たちが責任をとることはない。彼らは、複雑な仕事の組織のなかで特殊な仕事を行っている、多かれ少なかれ固定した単位なのであるから、すばやく新しく生じた状況に対応して調整を行うことはできないのである。危急のさいに、全体の利益のために組織を変える力を持っていないのである。どのような形の治療にも——個人の新しい適応にも、組織全般の補修にも——時間と注意深い計画が必要なのである」333-5頁

「からだの仕組みから見た社会的安定性の要因
 この問題を解決する方法について、からだの安定性はどのようなことを暗示しているのだろうか?…もし、範囲のせまい、かなり自給自足的な領域を考えるならば、からだが暗示しているものはだいたいつぎのようなことではないかと思われる。
 からだは、<安定性がなにはともあれ大切である>ことを示している。それは節約することよりも大切である。…
 危急のさいには安定性が経済性に優先するというこの証拠をさらに裏づけているのは、充分な余裕を見越して与えられているからだの安全係数である。たとえば、血液量、肺の容量、血圧、心臓の能力のありようは、節約をむねとして決められているのではなく、打ち消さなければ液性環境をかき乱すような、異常な事態に出会う危険にもとづいて決められている。
 また、からだは、恒常性がかき乱され始めたことを初期に示す徴候が、捜してみれば見つかることを教えている。社会組織については、このような警報はほとんど知られていない。したがって、これらを発見し、その真の価値を明らかにすれば、社会科学にもっとも重要な貢献をすることとなろう」335-6頁→

(承前)「現代社会の複雑な相互関係のなかで、計画的な調節は産業と生産にあるというより、むしろ財貨の分配の仕組み、商業と流通にあるようである。…
 さらに、からだは、安定性の重要性から見て、液質、すなわち商業の過程の安定性を維持する力を社会そのものから与えられた、特別に組織された調節機能を持つことが当然であることを示している。このことは、社会不安の原因が予知されるときに、財貨の生産を押さえて、需要に対する供給を調節するような力が、当然あるべきことを意味しないだろうか?…
 生物のからだでは、予備の物質を貯蔵したり、放出したり、絶えず働いている作用を促進したり止めたりする力を与えられているのは、冷静に考えたり適応を行う大脳皮質ではなく、適当な警報がはいれば自動的に働く脳の下部の中枢であるということは、注目に値する。
 生物の発生を見てみれば、内部環境を安定に保つ自動的な仕組みが、おそらく実験的な試み、誤りと修正の長い経験の結果であることが知られる。社会的な安定を保証する方法が、同じような進化の結果えられるであろうと期待することも無理ではあるまい。しかし人間の知性や、すでに作用している安定作用の成功した実例が、社会の進化を比較的速いものにするかもしれない」337-8頁

「生物のからだに備わった条件がわれわれに教えていることは、集団を構成している個々の人々の能力がそこなわれたり、不健康になったりして、集団が弱まることがないように、保護し回復させる働きをする熟練した手当ての手段が、社会集団のなかになければならないことである。
 考えに入れておかねばならない事実は、成熟した生物のからだは、構成している細胞の数が比較的一定したからだである、すなわち、人口が調節されている社会集団に当たるということである。
…人間のからだが社会組織に教える知恵は、その人口や、生存の手段が適当に保証されるように調節され、地域的な、あるいは外国からの移住がふえて混乱の生ずることがないという条件の上に立脚している。
 社会組織と生物のからだの間のいちじるしい違いは、生物はかならず死ぬということである。…
 死は、社会から古くなった人々を取り除き、新しい人々に場所をゆずるための手段である。したがって、国家や民族はその終末に思いを巡らす要はない。それを作りあげている単位は、絶え間なく更新されているのである。したがって、国家を安定させる仕組みがいったん見出され、確立されれば、その作用が適用されている社会組織自体の成長が比較的安定したものである限り、その仕組みも働きつづけることであろう」338-9頁

「自由の基盤としての恒常性維持
 液性環境の調節された安定性が、生物に与える影響を研究したときに、われわれは、安定性が保たれるかぎり、からだはその内外から加えられる悪条件による制限から解放されていることに着目した。社会組織を満たしている液質の調節と安定性から、同じような結果が生ずることは考えられないだろうか?…
…からだの恒常性は、つねに変わる新しい条件にからだを適応させる働きから神経系を解放して、たんに生存をつづけるために必要な細々としたやりくりに絶えず注意を払う必要性をなくした。もしも、恒常性を維持する仕組みがなくなれば、普段は自動的に修正しているものを意識的に行うよういつも注意していなければならず、さもなければ悲惨なことになる危険に絶えずさらされている。
 しかし、必要なからだの働きを安定に保ち、恒常性を維持する仕組みのあるおかげで、個人としてのわれわれは、そのような骨のおれる仕事から解放されている——われわれはからだについての不安に妨げられることなく、自由に友だちと楽しくつき合い、美しいものを楽しみ、われわれの身の回りの世界の驚異を探求しそれを知り、新しい思想や興味を発展させ、働きそして遊ぶことができる」342-3頁→

(承前)「社会的な恒常性の大切な役割は、からだの恒常性を維持するたすけとなることであろう。そうすることによって、神経系のもっとも高級な働きは解放され、冒険や仕事の完成に向けられる。生命の維持に欠くことのできないものが保証されれば、無限の価値をもつ不急不要の事柄は、自由に捜し求めることかできるであろう。
 社会が安定すると、たいくつで単調なことになりやすく、予想もできない不安定なことから生ずる興奮がなくなるだろうという心配があるかもしれない。
 しかし、そうなるのは、生存のための基本的な要求に関してだけのことである。新しい発明による社会の変化はまだあるだろうし、社会の関心は、栄誉ある偉業や、人間性の軋轢や、新しい思想の発表や、愛と憎しみの葛藤や、そのほか人生を変化に富み色彩豊かなものとする出来事に集まる。
 社会が安定すれば、とりわけ個人の自由な活動がいちじるしく妨げられるのではないかという心配があるかもしれない。しかし…社会全体としての安定な状態は、それを作りあげている個々の人々の安定な状態と密接に結びついている」343-4頁→

(承前)「社会の安定することが、社会組織を構成している人々に肉体的、精神的な安定をかもし出すと同時に、個人が安定することはさらに高度の自由、心の落ち着きと余暇を生み出すであろう。それらは健全なレクリエーションや満足のゆく爽快な社会的<環境>を見出し、秩序を守り、個人の才能を享受するために欠くことのできない条件なのである」344頁

訳者解説「キャノンの恒常性維持の概念の先駆けとなったのは、フランスのC. ベルナール(C. Bernard)による生物のからだの内的環境(milieu interieur)の固定性(fixité)であるが、キャノンの功績は、これを機能として捉え、実証的に動的な調節系を明らかにしたことにある。ベルナールの考えは、どちらかといえば内分泌学者に、そして、キャノンは生理学者に強い影響を与えたということも、あるように思われる」352-3頁

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