シャルル・リシェ(1900年)「ある意味では、生物は、変化しうるがゆえに安定なのである——なにほどかの不安定性は、個体の真の安定性のための必要条件である」24頁
「からだのなかに保たれている恒常的な状態は、<平衡状態>と呼んでもよいかもしれない。しかしこの用語は、既知の力が平衡を保っている比較的簡単な、物理化学的な状態、すなわち、閉鎖系に用いられて、かなり正確な意味を持つようになっている。
生体のなかで、安定した状態の主要な部分を保つ働きをしている、相互に関連した生理学的な作用は、ひじょうに複雑であり、また独特なものなので——それらのなかには、脳とか神経とか心臓、肺、腎臓、脾臓が含まれ、すべてが協同してその作用を営んでいる——私はこのような状態に対して恒常状態(ホメオステーシス homeostasis)という特別の用語を用いることを提案してきた。
この用語は、固定し動かないもの、停滞した状態を意味するものではない。それは、ある状態——変化はするが相対的に定常的な状態——を意味するものである。
高度に進化した動物が、その内部の状態を一定の安定した状態(すなわち、恒常状態)に保つために用いている方法は、安定した状態を確立し、調節し、支配するためのある一般的な原理を示しており、不安な変動に悩む他の組織——社会的、産業的なものであっても——にとっても、役立つ可能性があるかもしれない」28頁→
「私はクロード・ベルナールの考えにしたがって、われわれはまわりを取り囲んでいる大気のなかに生存しているのではないことを強調した。われわれは、死んだ細胞や粘液や塩溶液の層で大気から隔てられている。これら生命のない物質の表層のなかで生きているすべてのものは、液質、血液やリンパ液に浸されている。すなわち、これら液質は、内部環境を作っているのである。
内部環境あるいはからだを満たす液質が、いちじるしく変化したときに生ずるひどい危険を見れば、それを安定に保つことがいかに重要なものであるかはっきりと知ることができる。クロード・ベルナールは、安定性の維持が、自由で妨げられない生活の条件であることを明白に認識した。
われわれは、からだの内部に環境を備えて、行動するのである。そのため、われわれの身の回りに起こる、たとえば、温度変化、湿度、酸素含有量の変化も、極端でないかぎり、われわれの生命を包んでいる内部環境にはほとんど影響を及ぼさない。
しかし、この快適な安定性、恒常性も、ふだんいつも破局を防ぐべく待機しているすばらしい仕組みの働きなしには、保証されない。そのままにしておけば、たちまち生物に深刻な悪影響を与えるような条件が、からだの内部に生まれるだろう」281-2頁
「『内的環境』の恒常性… われわれのからだの構造と化学的組成のもっともいちじるしい、当然強調さるべき特徴の一つは…それらが本来きわめて不安定であるということである。循環系の調和のとれた働きがほんのわずか狂っても、からだの構造の一部は完全に破壊され、みごとに構成されたからだ全体の存在が危険にさらされる。 多くの実例で、われわれはしばしば、そのような不測の事態が起こることを知ると同時に、不測の事態が生じても、考えられるような悲惨な結果に終わることがいかにまれであるかも知った。 原則として、生物に有害な影響をおよぼす条件があればいつでも、生物そのもののなかにそれを防ぎ、乱された均衡を回復する要因があらわれる。この安定性をもたらす仕組みの<型>が、われわれの現在の興味の中心なのである。 ある種の器官は、その作用が速すぎたり遅すぎたりしないよう、一種の調節作用に支配されているが——抑制神経と促進神経を持つ心臓は一つの例である——このような例は、自己調節作用の二次的、補助的な形態であると考えることができる」301-2頁→
(承前)「からだのあらゆる部分に安定した状態をもたらすのは、主としてからだの本来の環境、内部環境、あるいはからだを満たす液質を一様に保つことである。からだを満たす液質は、共通の<媒体>であり、物質交換の手段として、また供給物や老廃物の便利な運搬手段として、あるいは温度を均衡させる手段として、多くの部分に安定した状態がもたらされやすいような基本的な条件を整える。
クロード・ベルナールが指摘したように、この『内的環境』は生物自身が生み出したものである。これが一様に保たれているかぎり、からだのいろいろな器官の働きの安定性を維持する特別の仕組みは、不要である。したがって、『内的環境』の不変性は経済的な仕組みであると考えられる。
高等動物がたどってきた進化の道程の特徴は、この生命を包み、それに適当な条件を与える要因としての環境の働きを、しだいによりよく支配するようになってきたことである。この支配が完全であるかぎり、行動の自由にからだの内外から加えられる制限は取り除かれ、ひどい障害や死の危険は最小限にとどめられる。したがって、われわれのからだのいちじるしい安定性の本質を理解するうえで中心となる問題は、からだを満たす液質の一様性がいかに保たれているかを理解することである」302-3頁
「恒常性を維持する機構
からだの内部環境の状態がはなはだしく変化することのないよう保証している、もっとも大切な目ざましい仕組みは、刺激に感じやすく自動的にそれを標示する機構、あるいは見張りの役をしている機構である。障害のごく初期に、この機構の働きで補正作用の活動が開始される。
…都合の悪い変化の最初のきざしが現われると、すみやかに、そして、効果的にそれを正すような処置がとられる例を、すでに学んできたのだが、そのようなきざしを最初に捕える仕組みや矯正作用が、いかに働いているかという点について、はっきりした知識はえられていない。…
からだの内部環境は驚くほど安定であり、たとえ変化が起こってもただちにもとに戻されるが、これまでにとりあげた以外の内部環境の変化を示す仕組みについては、残念ながらまだわかっていない」303-5頁
「恒常性維持と貯蔵
恒常状態を調節する働きは、その安定な状態が<物質>に関連したものであるのか、<作用>に関連したものであるのかによって、2つの一般的な型に区分することができる。…
物質の供給は偶発的で不安定であり、その需要は絶え間なく、またときには高まる。多くの例で示されているように、物質の恒常性はそれらの間を調整する<貯蔵>によって維持されている。…貯蔵には2つの種類がある——その場の調節と使用に当てる<一時的>なものと、長くためておいて継続的に利用する<積み立て的>なものである。
一時的な貯蔵は、明らかに、組織の隙間にただあふれ込んだ結果である。…
物質をたくわえるこの簡単な方法を、われわれは『氾濫による貯蔵』と呼んだ。問題となる物質の相対的な濃度以外、とくにこのために作られた支配機構は、血液にも、小さな袋のような結合組織にも、ないように思われる。
多かれ少なかれ永久的で、積み立て的な貯蔵では、物質は細胞内部、あるいは特定の場所に隔離される。これらは隔離による貯蔵と呼ぶことができよう。
ある種の場合にこの方法を支配している作用についての知識から考えてこれが氾濫による貯蔵と異なっている点は、神経あるいは神経液…による支配を受けているという点である」305-7頁
「貯蔵の背後にあるもの、または事実上貯蔵の原因となるものは、食物や水をとるよう刺激する作用である。主としてこれらは、飢えとか渇きとかの不快な体験である。食物を食べればおさまる不快な苦痛、水や水の多いものを飲めば消え去る口の不快な乾燥。しかし、これらの自動的に生ずる『衝動』は、ときには快い味覚や嗅覚にわれわれを導く。
このような感覚は、そのもととなる特別な食物や飲物をとることに結びつく。こうして食欲が生じ、食べたり飲んだりするよう<引きつけて>、飢えや渇きで苦しむ必要はある程度なくなる。しかし、食欲だけで供給を維持することができなければ、より強制力の強い、どうにもしがたく駆り立てる作用が働き始めて、やむなく貯蔵を補わせるのである」309頁
「恒常性維持と『あふれ出し』
からだを満たす液質の恒常性を保つ別の仕組みは、<あふれ出す>現象である。この仕組みは液質中の物質が変動して増加しないよう制限を加えている。
…有閾物質が主として組織の隙間にあふれること、いいかえれば、氾濫によって貯蔵されることは興味深いことである。これらの物質が充分にたくわえられているときには、あふれ出しの仕組みは恒常性を保つ、きわめて有効な方法である。…
あふれ出しはたんに老廃物(炭酸ガス)の濃度を低く保つための調節機構として用いられるばかりでなく、役にたつ物質(ブドウ糖)の濃度を下げて一定に保つときにも用いられる。ここでふたたび、からだを満たす液質の安定性が、生物の基本的な条件としていかに大切であるかが示されていることに気がつくのである」309-11頁
「からだの恒常性維持に関する仮説
1926年に、私はからだの安定性およびその維持に関して数多くの仮説を提出したが、それらはからだの恒常状態の一般的な特徴を考えるうえで関連がある。ここでは、それらのうちの4つだけについて考えてみよう。
『われわれのからだが代表しているような、不安定な物質から成り立ち、つねにその状態をかき乱すような条件にさらされている開放系が安定であるということは、そのこと自体、安定を維持するために働く、あるいは働く用意をしている作用の存在の証明である』。…
『ある状態が安定であれば、それは、自動的に変化に対抗する一つまたはそれ以上の要素の効果が増すことにより、変化をもたらすような傾向がすべてうち消されているためである』。…
『恒常的な状態を決定している調節系は、数多くの協調して働く要素からなっており、それらは同時に、あるいはつぎつぎと継続して作用を開始する』。…
『恒常状態をある方向に動かすことのできる要素がわかったときには、それを自動的に調節している作用を捜し、あるいは反対の効果を持った一つないし多数の要素を捜し求めるのは正当なことである』」315-7頁
「このうえもなく不安定で、変わりやすいという特徴を持つ材料で作られている生物は、なかとかその恒常性を保ち、当然生物に深刻な悪影響を及ぼすと思われる状況のなかで不変性を維持し、安定を保つ方法を習得している」24-5頁