「さらなるステップが、シカゴでロイ・グリンカー議長の下で1952年から1957年まで継続して開かれた『システム理論会議』によって多大な影響を受けた。アイデアが私にとって重要だった数人の参加者の中でも、社会性昆虫生物学者のアルフレッド・エマーソンが際立っていた。いくつかの著作も含む彼が言ったことは、キャノンのホメオスタティックな視点への私の好みを強めた。しかし彼は私を強く傾かせるようなやり方で語ったものの、私は、生命システムだけでなく他の多くの種類のシステムにおいても、当時勃興しつつあったサイバネティック・コントロール概念を選好したというのもあったのではないか、と考えている。この後者が、私の思考の支配的テーマとなったのである」p.831.
パーソンズにフロイトを読むように強く勧めたのは、ホーソーン実験のエルトン・メイヨー。p.835.
「4機能パラダイムの論理は次第に、『行動有機体』が——トータルな具体的生命体ではなく——いかにして適応(fit in)され得るか、またされるべきかを明らかにした。この拡張は、生物学的関心の蘇りと拡大により促進されたが、それは特に、アルフレッド・エマーソンとの交流を通じて、また、社会心理学から脳領野の研究に転じたジェームズ・オールズとの深い付き合いによってであった。行為の4つのサブシステムの機能的配置は、明確で安定している。すなわちそれらは、適応の位置においては行動有機体であり、目標達成においてはパーソナリティであり、統合の位置においては社会システムであり、パターン維持においては文化システムである」p.848.
「システムの概念は、他でと同様に行為の領域において、非常に早い段階から私の思考にとって中心的だった。それには、このタイプの理論の本質的な議論に著しく入り込んできた経験的-理論的諸問題の広範な複合体が結びついている。それらは、均衡のような概念や、その安定性・可能性・変化過程の諸条件との関係、機能概念それ自体の地位、社会システムの特質としての『合意 対 紛争』の問題、そして、システムにおいて『維持過程』と呼ばれ得るものと構造的変化の過程の間の関係に関わっており、進化の概念やその反対物にまでずっと伸びているのである。 おそらく…均衡問題への私の最初の導入は、シュムペーターによる経済への適用によって強められた、ヘンダーソン-パレートのバージョンの形態を取っていた。この形態は、システム概念を機械論(mechanics)の意味で用い、物理-化学システムをモデルとしていた。それは安定性の諸条件を強調したが、ヘンダーソンは、パレートの均衡概念は必ずしも静態的ではなかったと注意深く指摘していた。しかしながら私は非常に早くに、均衡のより生理学的な概念、とりわけホメオスタシスの概念をめぐってキャノンが定式化したような概念に影響されるようになった」p.849.
「サイバネティックなパースペクティヴはまた、行為システムにおける安定性と変化のイライラさせられる問題を扱うための新しい可能性を開くのに役立った。この繋がりにおいては、新しいパースペクティヴを、パーソナリティの社会化や似たテーマへの私の以前からの関心と接合することが可能だった。システム-パターンが維持される過程——社会にとっては新しい成員の社会化を含む——と、その主要な構造が変えられる過程との間の根本的な理論的区別に固執することは正当化されるように思われた。それは、個体生命体の状態が維持ないし変えられる生理学的過程と、種の遺伝的構成の変化を含む進化的過程の間の、基礎的な生物学的区別と大まかにはアナロガスであるからだ」p.851.
「私に最も親しみのあった、この複雑な問題領域[資本主義-社会主義の二分法、ゲマインシャフト-ゲゼルシャフトの二分法の克服]へのアプローチとは、個人の社会化過程の分析を継続することであり、そこに含まれる動機づけダイナミクスと、社会的および文化的システムの双方の観点から見た過程の構造的設定の間の相互関係を特に参照することであった。厳密なパーソナリティ・レベルでの精神分析的心理学は、この問題領域に取り組むための堅固な理論的基礎を与えてくれた。しかしながら理解できる理由により、それは、過程のより早期の段階——とりわけ古典的な形では、エディプス段階——に注意を集中させる傾向があった。ここですらそれは、家族・親族システムの社会学的分析に照らしてかなりの矯正・修正をする必要があったのである」pp.858-9.
「社会経済的思考と生物学的思考のある種の収斂への確信が、初期には役割を果たした。おそらくとりわけ私のフロイトへの関心によって、社会システム理論とパーソナリティ理論の間の収斂の問題と、また次第に、それが実際に存在しているという程度とが、目立ったものになった。もちろんそのような収斂はしばしば、額面上は両立不可能なポジションであるものから引き出されなくてはならなかった。パーソナリティと生命体の間の分析的区別は大部分の心理学的思考において不明瞭だったが——実際、今日なら多くの心理学者はその関連性を完全に否定するであろう——、しかし特に、脳に関する著作の初期段階でジェームズ・オールズと、またカール・プレブラムと交流したがゆえに、私にはそれは、分析的区別の枠組内での収斂パターンの1つのケースに思われたのである。同じ[収斂的]考察は、社会システムと文化システムの関係領域でも働き、それに対しては私は特にヴェーバーから、また文化人類学者との多くの交流からも教えられたのである。ある意味で、おそらく最も広範囲にわたるあらゆる収斂は、多くの交流や修正を経たサイバネティックな概念の傘の下で起きたように思われる」p.870.
「明らかにしてきたように、何年にもわたって私はむしろ、経済-政治的合理性の他のオルタナティヴにより多く関心を持ってきた。すなわち、一方では有機的複合体に対して、また他方では文化的なものに対して高度に複雑な関係を持つことがわかるようなやり方で、社会システムをパーソナリティにリンクさせたオルタナティヴに、である。かくして前者[有機的複合体]の文脈では、性愛複合体の意義の問題が際立っていたのであり、後者[文化的なものの文脈]においては、フロイトの超自我概念とともに始まった、内面化された価値の役割の問題が最重要であった。
この文脈での『合理性の問題』は2つの、ないしあり得るなら3つの相を有する。1つは、行為の決定における合理的・非合理的諸力の役割の問題である——例えば、フロイトにあっては、『快楽原理』に支配された『本能欲求』に関わる自我・『現実原理』・イドである。この領域における私の見解は、この問題の他の多くの研究者の見解よりもはるかに反合理的ではないことを、読者に明らかにすべきである」p.871.
「第2の非常に不可欠な文脈は、非合理的、また時として不合理な諸力の、認知的用語に言う合理的理解への接近可能性に関わる。私が到来した知的運動は、この状況に深く巻き込まれていた。これは最も顕著にはフロイトを含むが、しかし私が扱った主な著者たちも、マーシャルを除いて含まれることは非常に明らかだ。おそらくはフロイトの最も英雄的な努力は、『無意識なものの合理的理解』のためのプログラムを開始したことであったが、その本質は彼の定義により、まさにその性質において非合理的なものだった。これはまさしく、『自己利益の合理的追求』の合理的理解から、あるいはまた、合理的に認知的な知識の追求の合理的理解から、遠く隔たっている」p.871.
「第3の相がもし存在するとすればそれは、そけら2つの相のリンクである。古典的なアフォリズムはフロイトの、『イドありしところに自我をあらしめよ』である。オーギュスト・コントと彼のスローガンである『知は力なり』まで遡ることすらできるかもしれない。いかなる意味で、またいかなる限界の内で、非合理的なもの——明らかに物理的世界を含む——の合理的理解は、制御へのドアを開くのか? その答えは、最も一般的な道程の意味において、それはそのようなドアを開くということだ。けれどもここには、合理性複合体の最もひどく論争的であった領域の1つが残っているのであり、そのいろいろな側面は私にとって非常に中心的であったのだ」p.872.
「サイコセラピーの合理的構成素は、経済的・政治的合理性とその道具的性質を共有している。だが、これを超える2つの問題が生ずる。最も明らかな問題は、そのような道具的合理性がその利益にかなうようにと生み出されたところの、目的ないし目標の正当性と正当化の源泉に関わる。功利主義者は、また今なお大部分の経済学者は、消費『欲求』を所与のものとして、すなわち自分たちの目的のための知的問題の座を構成しないものとして扱う。同様にフロイトや精神医学にあっては、メンタルヘルスは一般的健康の一側面だったのであり、その獲得や回復は定義からしてほとんど望ましいものだった。けれども両方[経済学と精神医学]の文脈において、また他のいろいろな文脈において、有名な本のタイトル(ロバート・リンドの『何のための知識か?』)をパラフレーズして、『何のための合理性か?』という問いを掲げることが望ましい」p.872.
「フロイト自身はますます『客観的関係』に重きを置くようになったが、適切な家族の社会学を発展させることはほとんどなし得なかった。…私はフロイトを読む中で次第に、私や他の人々が『社会化』現象と呼ぶようになったもの(フロイト自身の用語は『取り込み(introjection)』だった)の重要性を悟った」p.838.