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逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』読了 

壮絶だった。刊行された当初シフターフッドの名作と見かけたが、確かにこれは女同士の連帯であると思うと同時、戦中を戦って生きた「女性」という属性を抱えた人間の連帯であると感じた。シフターフッドの一言で集約してしまうことは、あまりに戦時における「女性」に向けるべき想像力を欠く。物語全体がロジカルだとも感じた。歴史として実在した戦争という舞台や背景はもちろん、展開にも綿密に組まれたな流れがある。猟銃しか扱ったことのなかったいち猟師の娘が狙撃学校から戦場へと場を移していくなかで、読者の私も戦争を読むことに最適化されていった。読み終わって気づいた。小隊の狙撃兵を中心とした各人の感情も、制御のつかないものではなく、バックボーンから戦場に至るまでに紡いできた歴史に支えられた、それぞれの流れがある。生者も死者も数字に取り込まれ、あらゆる戦いが国家の勝利と敗北に振り分けられる、読みながらその渦中に置かれる体験をなぞる。それに言いようもない虚しさを覚えながら、その概略化された死の中で、同志少女は「敵」を撃った。壮絶な帰結だった。

逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』読了 

陰惨で悲壮な死の場面は数えきれないほどあったけれど、セラフィマ生還後のターニャとの会話で、唐突に涙が溢れた。「あたし、本気で思うんだ。もし本当に、本当の本当にみんながあたしみたいな考え方だったらさ、戦争は起きなかったんだ」戦うのか、死ぬのか。問われて、どっちも嫌だ、とターニャは答えた。「治療をするための技術と治療をするという意志があたしにはあり、その前には人類がいる。敵も味方もありはしない」読む前にも、読んでる最中にも、読み終わった今も、世界は侵略と略奪と虐殺を重ねている。期日前投票を終えて、鏡の前に立ったぼくは憲法14条を掲げたTシャツを着ている。戦争が終わって、戦争の恐ろしさを知る人々が獲得した「保障」を、絶対に手放さない。奪わせない。

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