私が10代の頃、私が高校生の時に尾崎豊が亡くなった。尾崎の歌う「自由って意一体なんだい?どうすりゃ自由になるかい?」の言葉の意味を当時思い巡らせていたが、そもそも世界を知らないからとても漠然とした感覚だった記憶がある。精神的に自由でありたいが、それこそどうすりゃそれが保てるのか。
死んだ顔をして働く大人たちの姿を見ながら、でもまだ社会は右肩上がりに行けるのではという幻想が残っており、しっかり勉強してより良い進学をし、手堅いところに就職をすれば未来が約束されるようなことを社会は言っていた。しかしその人たちは自由なのかと言われたら違う気はしていた。
社会に出てみると…私の場合はいわゆる一般的な日本人の王道とはかけ離れたものであったが、いろいろな仕事しては離れた。住まいが変わったりもした。自分に合った仕事や生活がどんなのかを手探りで探すものの、当時は精神的に厳しい時期も多く気がつけば自由がなんなのかどころではなくなってた。
そんな20代、一番自由を感じられたのはやはり音楽だった。知り合ったシンガーソングライターの身近で弾き語ってくれた歌を聴いた時に、心の中に風が吹き込み自由が感じられた気がした。
その後三味線と出会い、自身で演奏するようになるわけだが「自由の感覚」がこの道を進ませたのかもしれない。続
しかしいつの間にか三味線活動がメインになってくると自由よりも制約が強まるのはこの世の常。それにつれ心の自由さ軽さは薄まり、だんだんと心にツヤがなくなってきた。
いろいろあって思いもしない独立をすることになったが、再び自由の領域が増えた瞬間でもあった。
心が求めていないことを空気に従い合わせるような、実に日本的な見えない鎖から離れられたので(当時は全く本意ではなかったのだが)より自分が描いているものに近づけるべく楽曲作りや組織づくりを目指してきた。自分で取捨選択できることも自由あればこそだ。
しかし組織づくりはなかなか難航する。なにせ場所は日本であり、そこに住む人たちがメンバーである。個々人の良し悪しでなく教育的下地が少ないため、思ったような場には簡単にはならない。呪いとも呼べるようなリミッターを感じたり、主体性を持つことや自分の言葉で発言してもらうことも一苦労。
そんな亀の歩みながらも徐々にだが確実に変化もあり、グループの成長を感じていた、そんな時にコロナ禍が訪れる。
ここで私はこの社会の未熟さを再認識して大いに絶望を深めることになる。精神的にも暗く長い冬が続き、雁字搦め手詰まり感を感じる日々。
といっても具体的な対策があるわけではない。しかしこのクソのような社会と心中することなく自分の大切にしているものを貫けるかどうかがここから先の私のテーマになってくるのではないかと考えている。
成人してからはずっとアウトサイダーに生きてきたのだ。人類はいろいろと取り返しのつかないことを積み重ね、現代社会はもうオワコンなところまで来てしまったけれど、その中で自分の矜持を大切にし、大切なものを大切にし、潔く現世を去ることができたらまずは本望ではないかと。
その中でも自分の活動としては種蒔きといえる行動は、たとえ思ったような収穫が得られないとしても継続していきたい。